02キリギリスの誓い

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美鈴の今日の仕事は、環境問題のパネルセッションを通訳することだ。

 

仕事の間、考える余裕は一切ない。

パネリストと共に最初に舞台の上に進み出る時は、

心臓が飛び出しそうに緊張するが、

会場の人たちは通訳のことなど、ただの黒いスーツ位にしか思っていない。

 

インタビュアーの話をひと言も聞き漏らさぬようにペンを走らせ、

その内容を、担当するマレーシア人パネリストの耳元につぶやき、

今度は、マレーシア人パネリストの言葉を聞き取ると、

マイクに向かって、日本語で内容を再生する。

 

知らない単語が出て来ませんように。

このマレーシア人が、わたしのことを忘れませんように。

 

祈りながら、壇上に用意された椅子に座っている。

 

 

インタビュアー本人は英語を解することが多いので、

パネリストの英語に、目を見て、直接あいづちを打つ。

 

そのうち議論に熱が入ってくると、

パネリストは自分の言葉が通訳される必要があるのを忘れてしまい、

滔々とインタビュアーに向かってまくしたてることがある。

 

インタビュアーがさらに間髪を入れずに相づちを打つと、

ついには、通訳者の存在自体も忘れ去られてしまうのである。

 

それを防ぐ為には、ほんの僅かな息継ぎの際、

強引に割り込んででも、そこまでの通訳をしてしまうことだ。

10分間も滔々と述べた内容を正確に再生することなど、

誰にだって不可能なのだから。

 

 

現在のインタビューアーはひとり。

答えるパネリストは3人で、うち外国人は2人。

1人は、ニュージーランド出身の研究者で、きれいな英語を話す。

 

美鈴の担当しているマレーシア人学者の英語はなまりがある上に、

早口で熱っぽく語り、ついて行くのにかなり苦労した。

 

 

40分ほどのパネルセッションが終わると、

各研究者の個人発表が続く。

 

美鈴は、先ほどのマレーシア人学者による発表を通訳し終わり、

ほっと息をついて、壇上を見上げて驚いた。

先ほど、美鈴がカフェで出会った男性が登壇している。

 

○○大学準教授、田山真。

「微生物と環境学が専門」と、プロフィールにある。

 

興味を惹かれて聞いていると、土壌の微生物の種類と、

周囲の環境がいかにリンクしているか。

土壌および、そこに生きる生物の変化を知ることが、

環境の未来を予見する上で重要だ、という論調であった。

 

美鈴は感心した。

 

若いのに、ずいぶん明瞭な論旨展開だ。

言葉も明瞭で解りやすく、

こんな人の通訳なら困らないだろうなあ・・。

 

あ、いけない!

 

研究発表を通訳の視点で考えるのが癖になってしまった。

内容にこそ、耳を傾けなくてはいけないのに。

 

 

深く、落ち着いた低音だった。

聞いているうちに、心の中にしみ通るようだ。

 

整った顔立ちと、まだ若いのに場慣れした様子で、

大勢の聴衆にまるで臆することなく、堂々と発表している様子に感心する。

英語も流暢で日本人ばなれしていた。

 

そのうち気分が乗って来たのか、時折、大きく手を胸の前で動かす。

くせなのだろう。

その動作すら、流れるように自然に見えた。

 

すてきな人だなあ・・・

 

美鈴は仕事も忘れて、ぽかんと口を開けてみとれていると、

隣にいたマレーシア人から小声で質問を受けた。


たちまち、仕事を思い出す。

小声で耳元に答えをささやくと、また田山の発表に聞き入った。

 

 

田山の発表に気を取られたせいか、

美鈴はその後、小さなミスをいくつか犯したが、

発表も後半になると、誰もそれほど注意して

通訳者の間違いをチェックしていないので助かった。

 

あの、こうるさいコーディネーターの羽柴さんがいなくて幸運だったわ。

 

羽柴というのは、通訳くずれのコーディネーターで、

自ら通訳席に座るより、人を座らせる方が楽だと気づいたのか、

最近はもっぱらコーディネーターの仕事一本やりだ。

 

派遣された仕事の場にでんと居座り、通訳者のアシストをするという名目で、

態度や誤訳をいちいち書き留め、

通訳者の査定表を作っていじめるという、ねちねちした性格である。

 

美鈴はこれまで3回、羽柴チェックを受ける立場だったが、

今回はもう大丈夫だろうと思われたのか、

他の新人通訳の監視に回ってしまった。

 

代わりにやってきた若い男の子は、スーツだけは着ているものの、

アルバイト気分いっぱいで、通訳者のアシストどころか、

自分がどこにいるかもわかっていないようである。

 


「あの・・すまないんだけど、あなた、予備のボールペン持ってない?」

 


美鈴がその男の子くんにささやいたのは、パネルディスカッションが終わって、

カクテルパーティになだれこむ、ほんのわずかの間だった。

 

通訳者にとってボールペンは命と同じで、常にバッグに2、3本入れてあるのだが、

今日に限ってなぜか、あと一本しかない。

しかも会場の空調のせいか、美鈴の使っているボールペンのインクの出が悪く、

先ほどから紙に顔をくっつけるようにして、自分のメモを読み取っているありさまなのだ。

 


「は、ボールペンですか?これ、一本しかないんすけど・・」

 

男の子くんがふらふらと取り出したボールペンを、美鈴は迷わずひったくった。

 

「貸して!あとで新品を買って返すわ」

「ダメですよ。僕もそれしかないんで、ないとレポが書けないんです。

 返して下さいよ。」

 

 

レポなど後でもいいではないか!

それまでにどこかの売店で新しいボールペンを手に入れれば済むことだ。


だが、自分はボールペンが使えなければ、即刻仕事ができなくなる。

メモを取らずに通訳するなど、聖徳太子のような記憶力は持ち合わせていない。

 


「いやよ!これ要るんだもの」

「僕だって必要です。ねえ、返して下さいよ。」

 

 

会場のロビーで見苦しい取り合いをしているのはわかっているが、

どうしてもゆずれないのだ。

これが要るのだ。

 

通訳者のアシストをするのが君の役目なんだろう?

なんで、こんなボールペン一本、貸すのに抵抗すんのよ?

これがないとわたしがどんなに困るか・・・

 

「僕のをお貸ししましょうか?」


え?

 

一本のボールペンを取り合ってもめている私たちの前に、

すらりと美しいペンが差し出された。


見上げると、先ほど発表していた田山准教授である。

 


あ、あ、あ、あの・・・でも、そんなわけには・・・

 

どもって問い返す美鈴に、田山は菩薩のような笑顔を向け、

 

「どうぞ、ご遠慮なく。お仕事で必要なのでしょう?」

「あの、でも、田山先生は?」

「僕はもう一本万年筆があります。

 そのボールペンは予備に持って来たので、どうぞお使い下さい。」

 

手の中にすっと差し込まれ、つい受け取ってしまった。

 

100円の実用ボールペンではなく、ゴールドのボディ部分を

シルバーメタリックラインが貫いた未来的な品である。

 

「あ、あ、あ、ありがとうございます!では、お借りします!」

 

美鈴はわたわたとあわてて、胸ポケットの名刺を探った。

 

「これ、わたくしの名刺です。山本美鈴と申します。」

「ヤマモトみすず・・・」

 

田山氏は少し考えるような顔をして、

「どこかで聞いたことがあるような・・・」とつぶやいた。

著名な漫画家のペンネームに似ているのだと、あえて自分からは明かさなかった。

 

「恐縮ですが、あとでお返しできるように、先生のお名刺もいただけますか?」


ああ・・・そうですね。

 

田山はさっと上着の内ポケットを探ると、流れるような動作で白い名刺を差し出した。

 


「田山真。東方大学で環境と微生物の研究をしております。

 よろしくお願いします。」

「い、いえ、こちらこそ。」

 

美鈴が渡された白い名刺にじいっと見入っていると、

隣に立っていた男の子くんが、

 

「あれ?美鈴さん担当のマレーシア人の先生、どっか行っちゃいましたね。」

 

とぼけたように言う。

 

は!いけない!

 

あのマレーシア人のアテンドが今日の仕事だ。

パーティ中くっついて、すかさず通訳しなくてはならない。

 

「では、田山先生、ありがとうございました。これで失礼いたします。」

「はい。後ほどまたお会いしましょう。」

 

感じのいい笑顔でそう言われると、え、後ほどって?

という言葉を聞き返してしまいそうになるが、

よく考えれば、会議後のカクテルパーティ会場でのことだと気づいて、また赤面する。

 

「はい。では後ほど、また。」

 

「また」って、何ていい響きだとにやにやしながら、ロビーを退散した。

 

 

 

 

 

 

 

 

8 Comments

  1. 通訳者にとってボールペンは命と同じくらい大事だなんて!!
    しらない世界のお話ってとっても新鮮!!!
    田山真。
    環境と微生物の研究をしてる准教授で
    顔も声もよくて、流暢な英語も話せて・・・・
    おまけに上等なボールペンまで貸してくれちゃって。
    「また」会えたときにどんな進展があるのか、と~~~っても楽しみです。

  2. mamaさん、ありがと〜〜!
    ちょっと不定期なUPですが、このまま続けていきます。
    >通訳者にとってボールペンは命と同じくらい大事だなんて!!
    そうなんです(笑)
    仕事の間中、使うので、多い人は一ヶ月に5〜6本使う人もいるそう。
    「ボールペンがなくて、シャーペンでメモ取ると、
     コチコチ、とノックしている間に、話が進んじゃうから、
     焦ったわ〜〜」とかね。
    >環境と微生物の研究をしてる准教授で
    >顔も声もよくて、流暢な英語も話せて・・・・
    >おまけに上等なボールペンまで貸してくれちゃって。
    もうこれだけで「うう、素敵!」ととろけちゃいますね。
    声のいい男って、ホント、素敵だもの。
    どうか、今後もおつきあい下さい。

  3. ふふ♪いい展開だわ~*^^*
    賢くて素敵で優しくて、声がいい~(〃▽〃)
    美鈴でなくてもうっとりです♪
    そして、生物学者さん?!
    それで、キリギリスにも反応したのかな?!
    美鈴。この場でボールペンを争う姿を想像すると。。
    なかなかおきゃんな女の子!
    次回は、カクテルパーティーでしょうか♪
    楽しみです。

  4. 夢のような出逢いだわ(笑)
    これからの二人の行方が楽しみです!
    あっ!仕事行かなきゃ!
    では、また!

  5. いいなあ~この感じ・・・^^
    すっごく面白い!
    美鈴のキャラ、好きです。すごく生き生きしてる!
    一生懸命仕事している姿は、思わず応援したくなります。
    それにしても、使えないアシスト君だねぇ・・・(-“-)
    まあ、そのおかげで田山真の名刺getできたから、その意味じゃ多少は役にたったか・・・
    通訳というのは、なかなかに大変そうなお仕事ですね。
    ボールペンでメモする時は、やっぱり“速記”とか使うのかなあ・・・
    大昔、通信教育で速記を勉強しようと教材を取り寄せたのですが、
    あまりの難しさに添削1度も受けないまま挫折した思い出があります(-_-;)

  6. ひょえ〜、朝早くから読んでくれてたのにぃ、
    お返事が遅くなって・・・。
    ★れいもんちゃん、
    >賢くて素敵で優しくて、声がいい~(〃▽〃)
    そ〜、顔も大事だけど、声がいいとまた3割魅力アップ!
    >そして、生物学者さん?!
    >それで、キリギリスにも反応したのかな?!
    ふふふ、今流行の『生物多様性』も研究しておりますです。
    次回もよろしく♪
    ★ひゃんすちゃん、
    忙しい時間に読んで、レスまで入れてくれてありがと〜〜!
    相変わらず細いままかな?
    わたしも○いままですぅ(笑)
    このまま、続きます。
    ★ちのっちちゃん、
    >すっごく面白い!
    >美鈴のキャラ、好きです。すごく生き生きしてる!
    ありがとうっ!
    面白いと言ってもらえるのが一番うれしいです。
    美鈴?ちょい、余裕ないですけど、しっかりよそ見だけはしてます(笑)
    >ボールペンでメモする時は、やっぱり“速記”とか使うのかなあ・・・
    通訳のメモは、一字一句メモるんじゃなく、
    自分で決めておいた記号で、記憶を「再生」するためにメモります。
    記号は人によって違うので、「e ↑」とあっても、
    「経済の上向き」を意味するか「輸出増加」を意味するか、それぞれです。
    従って、他の人のメモは読めない。
    でも個人名や数字はそのままメモるしかない。
    聞き逃したら、大勢の前で「もう一度言って下さい」と
    聞き返す羽目に(汗)
    >通信教育で速記を勉強しようと教材を取り寄せたのですが
    あれ、到底覚えられる気がしませんねえ。
    模様だわあ。

  7. 彼の通訳する人は 声に聞き入る暇もないだろうと思うと
    何だか気の毒ですね。
    そうか~ここでボールペンが出てくるんですね。
    あんな綺麗なボールペンを 田山先生みたいな人に
    貸してもらったら嬉しいだろうなあ・・。

  8. >「あなたは・・森の中から来たんですか。」って素敵なセリフです。
    そうですねえ。
    通訳はぼうっとしたら終わり。
    空中に消えて行った言葉達は二度と戻ってきてくれません。
    彼のインタビューを担当した編集さんが、
    途中なんどか見とれて絶句。
    周囲にうながされて、必死に気を喪わないようにしてたって話、聞いたな。
    >あんな綺麗なボールペンを 田山先生みたいな人に
    貸してもらったら嬉しいだろうなあ・・
    うん、ハンカチに包んで、ときどき頬ずりしちゃったりして(笑)

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