03キリギリスの誓い

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美鈴の担当したマレーシア人学者は、能弁だった。

早口だった。なまりが強かった。

 

その上、忘れっぽかった。

何を忘れるのかというと、相手が通訳の言葉を待っているのを忘れるのだ。

 

パーティ会場で出会った客のうち、3分の1程度は英語を解するが、

残りはそれほど得意ではない。

 

なのに、外国人学者と話す際、あいづちを打ったり、

笑いをはさんだりするので(意味はわかっていないのに)

話者は自分の話を理解してくれているものと思って、

通訳されるのを待たずに会話を進めてしまう。

 

最初のうち、雰囲気だけで相づちを打っていた客の視線が、

話が進むにつれ、泳ぐようになり、助けを求めるように美鈴に向けられる。

 

美鈴も一生懸命割って入って、断片的にでも通訳しようとするのだが、

話し手の興が乗ってくると折角しゃべっている最中に邪魔された、と感じるらしく、

不機嫌そうにマレーシア人学者ににらまれたのも一度ならずあった。

 

 

あんたが勝手に話を進めすぎるのよ!

相手はわかんないでうなずいてんだから。

 

 

美鈴はそう言ってやりたかったが、もちろんそんな事を言うわけには行かない。

 

おまけにほとんど何も飲まず、ぶっ通しで通訳しているので、

喉がカラカラだった。

 

ボーイがそばを通り過ぎる度に、「お水下さい!」と鋭く頼むのだが、

返事はしてくれても、マレーシア人学者が相手を求めて、

次々とテーブルを動くので、ボーイが用意してくれた水が美鈴の口に入ったのは、

たった一度だけだ。

 

今、マレーシア人学者はアメリカ人学者と、早口の英語でしゃべりまくっているので

美鈴の仕事は小休止。

この隙にとあたりを見回すと、傍らのカウンターに真新しいウーロン茶のグラスがある。

チャンスとばかり、手を伸ばし、がぶりと口をつけて飲んだ。

 

 

うっ!これ水割りじゃない。

 

 

思わず吐き出したくなったが、そうも行かず、辛い液体をごくんと飲み込む。

空きっ腹に飲んだアルコールは、たちまち血中を勢いよく走り回り始めた。

 

 

“Hi, nice to meet you!”

 

聞いたような声が、目の前に現れた。

マレーシア人学者の真ん前に、田山が現れて、

流暢な英語で話を始め、マレーシア人学者はうれしそうに応じている。

 

しかし、この学者のスタミナと能弁には驚かされる。

 

専門家同士の話になると、にわか勉強で詰め込んで来た美鈴では

追いつけない専門用語が飛び交っており、あとで調べておこうと

美鈴は二人の会話を熱心に聞き取り、下を向いて気になる単語を

カリカリとメモっていた。

 

 

「何を書いているのですか?」

 

 

日本語で話しかけられ、“Well・・”と返事をしかけて、

それが日本語であるのに気づいた。

 

 

「す、すみません。ちょっと頭が混乱して・・・」

 

 

話しかけて来たのは田山だ。

さっきまで熱心にまくしたてていたマレーシア人学者の姿が見えない。

 

あれ、どうしたんだろう?

 

 

「あの・・・?」

 

 

きょろきょろと辺りを見回した美鈴の疑問が、田山にはすぐわかったようだ。

 

 

「彼なら、たぶんトイレじゃないかな。

 すごい勢いで、しゃべって、飲んで、食っていましたからね。

 

 で、何を書いていたんですか?」

 

 

もういちど質問を繰り返す。

 

 

「ああ。こういうことは内緒なんですけど、

 この分野のお仕事、実は今日が初めてなんです。

 だから、わからない専門用語とかが多くて、次回までに調べておこうと、

 勝手ながらメモさせて頂きました。

 すみません。仕事そっちのけで・・・。

 でもお二人には通訳が無用みたいだったので・・・。」

 

「かまいませんよ。それだってお仕事の一環じゃないですか。

 もし、調べてもわからないことがあれば、ぜひ訊いて下さい。

 僕でお答えできることがあれば、いつでもお役に立ちますよ。」

 

「ほんとですか?」

 

「ええ、もちろんです。

 この分野が初めてとは思えないくらい、よく話について来られていましたよ。

 主催者にもそう伝えておきましょう。」

 

「ありがとうございます!」

 

「朝のわずかな時間まで、一瞬でも顔を上げずに勉強されていましたものね。

 いやあ、大変なお仕事です。」

 

 

そんな・・・。

 

美鈴はほてった顔に手を当てながら、

さらに熱を帯びてくる頬をもてあましていた。

 

 

「あれ、どうしました?顔が真っ赤じゃありませんか?

 さっきと全然違いますよ。」

 

 

田山が、熟れたすいかのような美鈴の顔色に気づいて、心配そうに訊いた。

 

 

「実はさっき、あまりに喉が渇いて、テーブルのグラスをひっつかんで飲んだら、

 濃いめの水割りだったみたいなんです。

 朝から何も食べていなかったし、下を向いてメモしていたら、

 もうすごく回ってしまって。

 さっきから頭がぐるぐるするなあ、と思ってたところだったんです。

 

 あの・・・そんなに赤いでしょうか。」

 

 

それは、それは・・・。

 

田山はちょっと呆れたように笑うと、

「君、水をくれないか」とボーイに水を持ってこさせ、

「さ、少し水を飲んだ方が良いでしょう。

 血中のアルコール濃度を下げないと・・・。」

 

「何から何までありがとうございます。」

 

 

美鈴はありがたく水のグラスを押し頂くと、一気に空にした。

あまりの勢いに少しむせてしまって激しく咳き込み、

傍らの田山に背中を叩いてもらう始末だった。

 

 

「す、すみません・・」

 

ああ、助かった。

 

そう思ったあとで、あ、まずいかな、とも後悔した。

 

仕事中に水を飲まないでいると喉が痛くなり、

声が出なくなってくるのだが、

水を飲み過ぎるとトイレが近くなり、

トイレを我慢したせいで膀胱炎をわずらう通訳者が少なくないのだ。

 

緊迫した会議で5時間トイレに行かれず、ぶっ続けで通訳する、

などと言うことはそう珍しくない。

列席の男性たちはなぜか、トイレの心配をしなくても平気らしい。

 

そうは言っても水を全く飲まずに仕事はできない。

食事は用意してもらえなくても、水だけは必ず、開催者に用意を頼んでいるが、

こういう立食パーティだと同じ場所にいないので、

水分補給が難しくなるのだ。

 

 

“Hey, Makoto, glad to see you again!”

 

 

別の外国人学者が声をかけてきたのをしおに、田山は軽く会釈をして、

美鈴の元を離れ、意見交換に努めているようだった。

 

美鈴がきょろきょろと辺りを見回すと、

だいぶ耳慣れた癖の強い英語が反対側から聞こえてきたので、

あわてて、元の職務に戻った。

 

 

 

 

 

はあ・・・・。

 

美鈴はWBSが終わるとリモコンでTVを消した。

仕事で役に立つ情報が多いので、忙しくてもなるべくこの番組は見るようにしている。

 

その他に平素は、録画しておいたABCニュース、CNN、BBCなどを、

ざっとチェックするのだが、今日は疲れすぎてその気力が湧いて来ない。

 

ごろん・・・。

 

ベッドの上に横になった。

ここに転がると白い天井が見える。

ごく限られた四角い面でも、ベッドから見上げるとさほど狭さは気にならない。

 

今年買ったばかりのささやかなワンルームマンションだが、

ここが美鈴の城だ。

 

もう一度、ごろんと転がり、世界を反転させてうつぶせになると、

昼間もらった白い名刺を手に取る。

 

仕事関係の名刺は、会った日付と人の特徴を書いて、名刺入れに分類してあるが、

この名刺には特徴なんか書く必要はない。

 

 

東方大学社会環境学部、環境学科、準教授。

田山真。(たやま まこと)

 

研究室の住所、電話番号とメールアドレス、

それに、携帯の番号とメアドまで載っている。

仕事専用の名刺ではない、と思う、けど・・。

 

これをくれたってことは、携帯に電話してもいいってことかな。

 

いや、フランクな人柄で、知り合いになった人には誰でも、

携帯番号とメアドも教えているのかもしれない。

 

美鈴は寝転がったまま、左手を伸ばして、借りたボールペンを調べてみた。

 

キャップのない一体型の細身で、つや消しの金のボディに、

銀色のメタル部分が貫くようにペン先まで輝いている美しいものだった。

 

ペリカンと銘が入っている。

美しいだけではなく非常に軽く、実際、美鈴はそのペンで、

後半の仕事を乗り切ったのだ。

 

 

やっぱり、これは返さなくては・・・。

 

お礼の言葉を電話で伝えるべきか、それともメールに残すべきか。

 

どっちにせよ、今夜じゃないな。

あちらは夜も引き続き、誰かと会って食事をしているかもしれないのに、

そんな時間を邪魔するべきではない。

 

また、お会いできるかなあ。

 

 

美鈴は手を伸ばして、名刺とボールペンをベッドサイドテーブルに置き直すと、

もう一度、ごろんと伸びた。

 

素敵な人だったけど、准教授って言うんだから30代か40代かな。

もう結婚してるんだろう。

結婚してなくても、あの容貌なら決まった人がいるに違いない。

 

それでもいいや。

 

素敵な人は、遠くから見るだけでも素敵。

まして知り合いになれて、時々言葉を交わせたら幸運。

仕事でお役に立てたらいいけど、あんなに英語が堪能なら、わたしの出番はないし。

 

あ!でも、元はと言えば、わたしの頭のキリギリスを取ってくれたんだった。

あの時、妙な自意識で誤解してしまったことを変に思っていないわよね。

 

頭にキリギリスを乗っけたまま、ぶつぶつと英単語を呟く女、なんて、

相当、気持ち悪かっただろうな。

 

あ〜あ。どうしよう・・・

 

 

美鈴の思考回路は、ぐるぐると同じところを回っているうちに、

いつの間にか眠りこんでしまった。

 

 

 

 

 

6 Comments

  1. ペリカンのボールペンが手元に残ってたんですね。
    某所にUPしてくださった美しいフォルムと田山さんのイメージが重なって、
    さてこのペンを人質に(?)美咲は次にどう出るか??
    ・・・・早く起きて動いてくださいな!
    通訳のお仕事のリアルな描写も相まって、次回の進展を楽しみにしています。

  2. 通訳という仕事、知らない事がいっぱいです(@_@)
    何でもそうかもしれませんが、自分の知らない職業の話って素直に“すごいなあ”って思います!
    でも美鈴と田山、通訳としてのお仕事は必要なさそうだし、どうやって接近させましょうか?
    やはりボールペンと名刺・・・でも、返しちゃったら終わりですよねぇ(-_-;) う~む・・
    はてさて、続きの展開がとっても気になります^^
    お早目のUP お待ちしてま~す(^◇^)

  3. わぁ、おもしろい!
    って、今頃言っててごめんね。
    通訳の世界のストーリーを読むのははじめてだわん♪
    かっこよく見えても大変なんだね、いろいろが。
    去年韓国の女優さんのトークショーに行ったとき、
    彼女「少しずつはなさなきゃいけませんよね」と言っていたのに、
    思いが溢れるようで、ついどんどん話してしまって10分くらいたっちゃうんですよね。
    それをちゃんと訳す(ように感じる)通訳の方がほんとにすごいなって思ったのと、
    私の好きな韓国の俳優は、通訳のタイミングのために少しずつ区切って話す配慮がすごいなと、
    どちらにも感心したのでした。
    やはり通訳してもらう立場も回を重ねると、そういうことがわかっていくのかなと思いました。
    ボールペンが繋いでくれそうな二人。
    このあとの再会が楽しみです。

  4. mamaさ〜〜ん、素早くありがとう!
    >某所にUPしてくださった美しいフォルムと田山さんのイメージが重なって
    ホントにびっくりでした。
    作ってもらったイメージを、ここでお見せできないのが残念です。
    >さてこのペンを人質に(?)美咲は次にどう出るか??
    >・・・・早く起きて動いてくださいな!
    みすず〜〜、早く起きろってよ〜〜!
    ペンと名刺があるんだから、あとはGO!よぉ〜。

  5. ★ちのっちちゃん、
    >通訳という仕事、知らない事がいっぱいです(@_@)
    肉体労働、兼、サービス業ですね。
    脳みそをスポーツのように駆使する(笑)
    いや、大変なお仕事です。
    >でも美鈴と田山、通訳としてのお仕事は必要なさそうだし、どうやって接近させましょうか?
    考えてくれてありがとう。
    いいアイディアが浮かんだら、こっそり教えてね♪
    ★しーたちゃん、
    面白いって言ってくれて、ありがとう〜!
    >通訳の世界のストーリーを読むのははじめてだわん♪
    うん、場合によっちゃ、ボーコー炎との戦い。
    (という方もおられます)
    >ついどんどん話してしまって10分くらいたっちゃうんですよね。
    >それをちゃんと訳す(ように感じる)通訳の方がほんとにすごいなって思ったの
    どうしても、割り込めなかったんでしょうねえ(涙)
    完全再生は無理だし、聴き手も望んでないけど、10分ぶんのメッセージを伝えなきゃ、
    と必死だったろうなあ。
    しーたちゃん、ハングル通訳、どうよ?(笑)
    >私の好きな韓国の俳優は、通訳のタイミングのために少しずつ区切って話す配慮がすごいな
    裏方の人間にも配慮する、その美しい心映えが、
    愛される秘訣でしょう。

  6. 通訳の仕事って大変だなあ・・
    当然のように 聞く側は流暢な訳を求めてしまうけれど
    彼のインタビューをあれこれ見るうちに
    通訳を念頭にいれた喋り方があると しみじみ感じました。
    しかし・・
    頭にキリギリスを乗せて ぶつぶつ英単語を呟く女・・
    相当 イケてる画でしょうね。

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