04キリギリスの誓い

kirigirisu_title.jpg

 

 

 

翌日は、語学学校の講師を勤める日だった。

美鈴はここで週に2度、通訳の入門クラスを担当している。

 

いつもより遅く講師部屋に入ると、先輩講師たちがコーヒーを飲んでいた。

 

 「おはようございます。」

 「あら、おはよう。今日は遅いわね。昨日、どっか入ってたの?」

 「はい、セミナー通訳でした・・」

 「そう。あたしはこの後、夜NHKなのよ。」

 

 放送通訳をしている先輩の松田が、自慢げにため息をつきながら言う。

 

 「最近、松田さん、現場に出てらっしゃらないんじゃない?」

 

 ロングへアーの前髪をかっきりと立ち上げた髪型を未だに崩そうとしない、

別の講師が話に入って来た。

 

 「放送通訳で英日ばっかりやってると、日英が出なくなるわよ。」

 「あら、心配してくれてありがとう。」

 

 松田がとがった声で返事をした。

その声の調子にもまるで構わず、

 

 「最近わたし、うちの夫の影響か、英語がややブリティッシュに

 寄っちゃってまずいな、と思ってるの。

 ほら、わたしってクライアントによって、ブリティッシュとアメリカンを

 使い分けてるじゃない?」

 

 何度も聞かされている話なので、誰も返事をするものがいない。

仕方なく、一番若い美鈴が

 

「すごいですよね。よく使い分けができるなって感心します。」

 

 と応じると、前髪立ち上げ講師は、ぐっと機嫌が良くなり、

 

 「あら、慣れれば何でもないわ。

 今日は英国、と決めると自然に口からブリティッシュが出てくるの。

 途中でアメリカ人に会っちゃうと、ああらどうしよう、と思うけど、

 でも最初に決めたままで通すことに決めているから・・・」

 

とうとうと自慢話を続けるが、他の講師たちは押し黙ったままだ。

いきなりドアが開いて、さらに別のベテラン通訳、椿が入って来た。

 

「ああ、寒いわね。忙しくって参っちゃうわ。」

 

 これもあいさつの一種なのだろうと、美鈴が「おはようございます」と言うと

おはよう、と素っ気ない返事が来た。

 

 「昨日、会議通訳の生徒のメモ見たら、とんでもないメモの取り方してるのよ。

 あれじゃ、いつまでたってもできるようになんか、なんないわ。

 誰があんなメモの取り方、教えたのかしら?

 

 おかげで、昨日の授業の半分を使って、今さら、

 メモの取り方講義をしなくちゃならなかったわよ。」

 

 この言葉が放送通訳の松田に向けられたことは必至だった。

椿と松田は「犬猿の仲」などという言葉では足りないくらい相性が悪い。

 

 「まったく。自分のやり方に凝り固まるのは勝手だけど、

 生徒にもその方式を押し付けないで欲しいわね。

 いい迷惑よ。」

 「でも講師間のミーティングで、ある程度、メモの取り方の統一を図ろうって

 話し合いをした際、椿さん、おいでにならなかったじゃない。」

 

 前髪立ち上げ講師がさりげなく釘を刺した。

 

「だって、急遽、指名の仕事が入ったんだもの、仕方ないでしょう。

 トヨタの社長がどうしてもわたしがいいって事務所に名指しで来たのよ。

 断れるわけないじゃない。」

 

しらっとした空気が流れたが、誰も何も言わなかった。

 

「ああ、明後日からまた出張だわ。

 講義の代行頼まなくちゃ、どなたか時間のある方おいでかしら?」

 

誰も返事をしない。

ある講師が椿の代行を引き受けて、翌週、椿がその代行講師のやり方を

こっぴどくけなしたのが知られているのだ。

 

「ま、いいわ。事務局に頼むから。」

 

そう言うとさっさと自分の机に行ってしまった。

 

美鈴はこうした講師部屋の雰囲気に慣れつつあった。

 

通訳者の約半分は帰国子女である。

考え方も生活習慣も外国人なみ、という講師も珍しくない。

ここでは、日本的な「和のゆずり合い」や「謙遜の美徳」の空気が薄く、

自己アピールと率直な意見交換が当然のようになされている。

 

加えて、通訳者という職業、心臓が弱くてはとても勤まらない仕事である。

「気が弱い通訳者」などいないし、いたとしても向いていない。

 

広大な会場でVIPの後ろに座り、その意見をマイクで代弁するのに

どれほど心臓が縮み上がるか。

こればかりはやってみた者にしかわからない恐怖である。

 

もっとも、いつもこんなに緊張した空気が流れるわけではなく、

今日はたまたま、個性の強いベテラン講師が鉢合わせしてしまったせいであろう。

彼女らはそれぞれ「女王」なのだ。

 

だがそんな彼女たちですら、仕事場では徹底した「黒子」を強いられる。

「黒子」の存在が気にならない通訳が優れた通訳、とされているが、

素晴らしい訳がほめられることは滅多になく、誤訳ばかりがあげつらわれる。

 

通訳が費やしている膨大なエネルギーとたゆまぬ努力をわかってくれる者は

ほんの一握りなので、鬱憤がたまるのも理解できなくはない。

ここ語学学校は、お互いが努力と成果と苦労をわかり合えるはずの

数少ない場なのである。

 

美鈴は事務局の用意してくれた資料とカセットデッキを抱え、教室に向かった。

 

 

 

 

 

午前中の講義を終えると12時。

 

美鈴は昨夜から考えていた通り、田山の携帯電話のアドレスに

メールを入れることにした。

文面は今朝起きてから何度も考え、あらかじめ作成して保存してある。

 

 「こんにちは。

 昨日、環境問題パネルセッションの会場でボールペンをお借りした者です。

 こちらの準備不足を列席の方に助けて頂いて恐縮でしたが、

 おかげで非常に助かりました。本当にありがとうございました。

 

 お借りしたペンは、頂いたお名刺の住所宛てに送らせて頂こうと思いますが、

 それでよろしいでしょうか?

 

 山本美鈴、携帯電話番号:○○○-○○○○○○○○ 」

 

もう一度、読み直して「送信」した。

 

こちらの携帯番号を入れるべきかどうか迷ったが、田山のを教えてもらっているのに

自分の番号を伏せるのは失礼な気がしたので、付け加えた。

 

10分ほど待ったが何の反応もない。

 

忙しいのだろうと思い直し、午後の講義の準備をしようと、資料を読みながら

買って来たバゲット・サンドイッチの包みを開けて、かぶりついた。

 

ごわついたバゲットで口の中ががさつき、

飲みもの、飲みもの、と袋を探っている途中で電話が鳴り、飛び上がった。

 

表示を見ると、見たことのない番号だ。

もしかすると・・・と気持ちははやるものの、口中が思い切りいっぱいである。

一生懸命噛んで何とか飲み込もうと努力するうち、コールが4回も鳴ってしまった。

 

きゃああ、切れちゃうぅぅ!

 

仕方なく、噛み残しを頬の片側にぐっと押し込むと、電話を取った。

 

「もひもし・・」

 「もしもし、わたし、田山真と申しますが、山本さんでしょうか?

 先ほど、メールを頂きまして。」

 

美鈴は必死で残りのパンを飲み込んだ。

 

ゴホッ!

 

「はい・・あの・・うっ、ゴホッ、ゴホッ!」

 「大丈夫ですか?お食事中だったとか。

 もうしばらくしてから、掛け直しましょうか。」

 「いへ・・たいじょうぶです。」

 

電話なら、この涙目もわからない筈だ。

送話口を押さえて、ごっくん!飲み込む。

 

「昨日は本当にありがとうございました。とても助かりました。

 プロとして準備不足で恥ずかしい限りですが、お陰で乗り切れました。

 お礼を申し上げたくて・・。」

 「ボールペン一本で大げさな・・ははは。

 でもお役に立てたなら良かったです。」

 「とても役に立ちました。ありがとうございました。」

 

「わからない単語リストはどうなりましたか?」

 「え?」

 「ああ、昨日、僕とシャネイの会話を聞きながら、

 熱心にメモしておられたじゃありませんか。」

 「ああ!実はあれから、まだ調べてなくて、わからないままです。

 ネット検索だけでは出てきそうもないな、と思って」

 

これは・・・もしかして?

 

「あの・・・田山先生はとてもお忙しくていらっしゃるんでしょうが、

 もしも、ほんの少々お時間を頂けたら、とても助かるのですが・・・」

 

美鈴はありったけの勇気を振り絞って言った。

自分からこんな風に申し込んだのは初めてだ。

 

一瞬、電話の向こうが沈黙した。

しまった、ずうずうしいことを言い過ぎた、と後悔していると、

 

「構いませんよ。

 僕も山本さんに聞きたいことがあったのでちょうど良かった。

 いつなら時間がありますか?」

 

夢だわ・・・これは夢。

 

素敵だな、と思った人から、

「いつなら時間がありますか?」と言われるなんて、出来過ぎだ。

何か罠でもあるんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

田山とスケジュールを相談し合った結果、翌々日の夕方に会うことになった。

場所は駅ビルのティールームである。

 

明後日は午前中に一本、ビジネス通訳が入っているだけ。

昼食までと言われていたから、どんなに遅くとも夕方には終わるだろう。

 

部屋に戻って着替える時間があるだろうか。

それとも仕事用の超地味スーツのままで、いいだろうか。

 

食べかけのサンドイッチがぱさぱさになるのも気づかず、

あれこれと思いめぐらしているうちに、午後の授業時間になってしまった。

 

 

 

 

 

語学学校の授業が終えるとまっすぐに部屋に帰り、

明日のビジネス通訳の準備をする。

 

フランスの眼鏡会社とのライセンス契約を更新したいと言う、日本企業からの依頼だ。

ライセンス交渉の通訳は以前にも勤めたことがあるので、多少は気が楽だったが、

眼鏡に関してはまるでわからない。

 

一応、そのブランドの眼鏡を置いている店をウェブ上で確認し、

顧客、特徴、店の立地などを調べ、必要になりそうな言葉は辞書を引いて準備する。

それから日経のネット版を調べて、眼鏡業界を少々チェックし、

予備知識として記事を幾つか読んでおく。

 

準備ができていれば、店やライバル会社、チーフデザイナーの名前を

いきなり聞かされてもあわてずに済む。

 

以前、ビジネス通訳を勤めた際、映画やTVにそれほど詳しくない美鈴は、

超有名(らしい)外人モデルの名前を知らず、

クライアントの社員だと思い込んで大恥をかいたし、

知り合いの通訳は、大リーグの有名野球選手の名前を知らないばかりに、

スピーチの枕に出たジョークが野球ネタとわからず、

とんちんかんな通訳をして、失笑を買った話も聞いた。

 

いつどこで、どんな話がでるのかわからないところが恐ろしい。

 

その業界の人間にとってあまりに普通の名前だと、

業界外の人間が知らないことなど考えも及ばず

「常識ハズレの通訳」というレッテルを押されてしまう。

 

 

大体の下調べが終わると、昨日の環境問題パネルディスカッションの際、

田山氏とマレーシア人学者が会話していた中から拾った、

意味不明単語リストを取り出す。

 

これを準備しておかないと田山氏に会う理由のひとつが無くなってしまうし、

実際、また環境関連の仕事からお呼びがかからないとも限らない。

 

専門家に直接聞ける機会を逃すべきでないのだ。

 

そこまで終えると、作り置きしておいたスープを冷凍庫から取り出して

電子レンジにかけ、冷蔵庫を覗き、残り物で何が出来るかを考えた。

 

豆と野菜のスープ、鮭のムニエルにゆでたポテトを付け合わせた食事を

例によって、ABCとCNNのニュースを見ながら食べる。

 

これが通訳の現実。

一時の油断も禁物なのだ。

 

でも・・・。

 

明後日の夕方には、楽しみな約束が待っている。

 

 

 

 

 

 

9 Comments

  1. こんにちは。
    >素敵だな、と思った人から、
    「いつなら時間がありますか?」と言われるなんて、出来過ぎだ。
    何か罠でもあるんじゃないだろうか。
    コレ、よくわかる。
    もう壮大なドッキリなんじゃないかと思っちゃうな。

  2. ひゃんすちゃん、ありがと〜!
    >コレ、よくわかる。
    >もう壮大なドッキリなんじゃないかと思っちゃうな。
    人生って楽しいことばっかじゃないから、つい身構えちゃうよね。
    でもたまには「楽しいミラクル」もあるカモしれないじゃ〜〜〜ん?
    ま、そう妄想して生きて行こう(笑)

  3. いよいよですね~♫ღ
    私までドキドキ!!!
    「ドッキリ」じゃありませんように・・・
    美鈴さんもお祈りしてるはず^^
    (初めてコメントさせていただきました。)

  4. なかなかシビアな世界なんですね。通訳さんって。。
    でも、これくらいの強さがないと務まらないですよね。
    それにしても、怖いよな~職場でお友達はできそうもない。。
    明後日のお約束は私も楽しみです~(〃▽〃)

  5. きみりんさん、いらっしゃ〜〜い!
    レスを下さってありがとう。
    このお話はきら〜くに読んで下さるとうれしいです。
    何しろ美鈴、ミーハーなところはあるんですが、
    それほど免疫が無くて(笑)

  6. れいもんちゃん、
    >なかなかシビアな世界なんですね。通訳さんって。。
    現場にたったひとり、部外者で乗り込んで、
    その内輪の話を代弁する形になるのですから、準備不足は禁物。
    「知らない単語は訳せない」ですよね。
    >それにしても、怖いよな~職場でお友達はできそうもない。。
    うふふ。この方たちは正直なんです。
    うわべで繕ったりあんまりしない。
    最後は他人を頼らず、自力で切り抜けなくちゃならないので、
    「チームワーク」より、「個人力」の向上が必須なんです。
    お約束、どんなになるかな(笑)

  7. 美鈴さんの世界は大変ですね。
    一時の油断も許されない・・・下準備にたっくさん時間を割いて・・・
    素敵な人と出逢っても、デート(?)が明後日にあっても
    まずはお仕事!美鈴さん流石です!
    私ならすぐにうかれポンチになっちゃって、仕事が手抜きになっちゃいそうです(-_-;)
    お仕事頑張ってる美鈴さんに 明後日、ステキな事がありますように!
    応援してますよ~^^

  8. ちのっちちゃん、ありがとう〜!
    >素敵な人と出逢っても、デート(?)が明後日にあっても
    まずはお仕事!
    そおですねえ。
    失敗した時に掻く恥が満座の中・・だったら、
    怖くて準備せざるを得ない。
    全部が全部、すごく緊張する場とは限りませんが、
    失敗がものすごく目立つ職業ですね(怖っ)
    >私ならすぐにうかれポンチになっちゃって、
    あたちも〜〜!
    何着て行こうか、上から下まで考えた(下着と言う意味ではありません)だけで
    もう頭がイッパイになりそう。
    >応援してますよ~^^
    ありがとうございます(by 美鈴)

  9. いや~ん・・・
    携帯番号入れちゃったわ 美鈴さん。
    服は地味でも パンツで勝負だ!

Leave a Reply

Your email address will not be published.


*