08キリギリスの誓い

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「山本さんのお仕事ですが、おおむね高評価をいただいてます。」

 

美鈴の向かいに座った通訳コーディネーターの羽柴が、

ちらりとデスクのファイルを見た。

 

「ありがとうございます。」

 

用心深く美鈴が答えた。

 

「でもひとつだけ。

 うちの山田から聞いたんだけど、セミナー通訳の時、

 ボールペンを準備してなかったんですって?」

 

「してあったんですが、急にインクが出なくなっちゃったんです。」


「そういう時に備えて予備を持って行くのがプロの心得でしょ? 

 パネリストさんのペンを借りてしのいだって聞いてるけど」


「はあ。」

 

あんの坊や、助けも協力もしてくれなかったくせに告げ口だけするなんて。

いつか仕返ししてやるわ!

 

美鈴は自分にボールペンを貸すのを拒否した、男の子クンの顔を思い出した。

 

「困るわねえ。

 主催者に借りるならともかく、ご出席いただいたパネリストのペンを

 横取りするなんて言語道断だわ。通訳として基本中の基本がなってないじゃない。」


「山田くんに頼んだのですが断られて困っているところ、

 先方から貸そうと申し出て下さったんです。」


「そもそも、ちゃんと用意していかないアナタが悪いのよっ!

 とにかく、こんなことは二度としないで下さいね。」


「はい・・・」

 

悔しかったが、自分のミスには違いないので美鈴は謝った。

 

「そんな心構えの人にお仕事回すのは、いささか不安なんだけど、

 今、環境関連の会議が多くて、通訳者が足りないの。

 でも山本さんには国際会議のブースに入れる実力も経験もないから、

 それ以外の通訳をお願いするしかないわね。

 ま、一度やってるから、単語もまだ頭に入ってるでしょうし・・・」

 

美鈴はぎくり、としたが、顔には出さなかった。

 

え〜と・・・。

 

羽柴はパラパラとファイルをめくり始めた。

 

「来週の火、水と講演会があるのよ。

 外国人ゲストの講演内容は、あらかじめ原稿をもらって、こっちで翻訳かけるけど、

 その後のインタビューと質疑応答。この部分の依頼が来ているの。

 お願いできるわね?」


「はい、わかりました。」


「講演の原稿がまだ届いてないのよ。

 届き次第、すぐ山本さんに送るわ。」


「届き次第って、いつ頃になるんでしょう?だって、今日はもう金曜日ですし・・・」


「何度も催促しているんだけど、いつまでもぐずぐず手直ししてるらしいの。

 下書きだけでもくれって、再三言ってるんだけどね。

 明日中には絶対寄越すように、再度プッシュするから待ってて。」


「あ、はい。」

 

不安だった。

研究者の膨大な原稿をたった二日で読み下せるだろうか。

だいたい、この前の不明だった単語もまだ解明していないのに、どうしよう?

 

“僕でお答えできることがあれば、いつでもお役に立ちますよ。”

 

ベルベットのような声が、美鈴の脳裏によみがえった。

 

「そうだ!」

「何よ?」

 

目の前の羽柴が不審そうに、美鈴を見た。


「あ、いえ、急に思いついたことがあったものですから。

 すみません。」


「通訳者のくせに山本さんはぼうっとしたところがあるわね。

 現場でもそんな調子かと思うと不安になるわ」

 

んじゃあ・・と。

羽柴は、講演会のプログラム、関連資料を積み重ね、

資料の山へ追加すると、美鈴へ押して寄越した。

 

「あなたの名前は通しておくから、具体的な集合時間その他は、

 直接問い合わせてね。これ、担当者の名前。」

 

はい。

 

「じゃあ、くれぐれも今度は『準備万端』でお願いします。」

 

羽柴から分厚い資料を受け取って一礼すると、美鈴はさっさと逃げ出した。

 

 

 

 

ああ、うれしい、わくわくする。

でも何だか胸の奥がもやもやと落ち着かないわ。

このお誘い、一体どう考えたらいいのか。

 

よく晴れた日曜日、人出の多い上野の森を歩きながら、

美鈴の足取りは軽かった。

 

動物園へ向かう親子連れ、美術館、博物館をめざす人々、

一輪車や、ジャグリングを見せている大道芸人たち。

それを取り囲む見物人。

 

空は真っ青な秋晴れ、乾いた空気がこの上なく気持ちよく、

美鈴は誰かに抱きついて踊り出してしまいそうだった。

 

 

 

金曜日、切羽詰まった美鈴は、思い切って自分から田山にメールした。

 

『週明けに環境関連の仕事が入りました。

 先日訊き忘れた単語を、教えて頂くお時間がありますか?』

 

送信すると、折り返し携帯が鳴った。

 

「ちょうどよかった。僕も美鈴さんに週末の予定を訊きたかったんです。

 土曜は大学に行かなくてはならないんですが、日曜日、空いていますか?」


「はい。」


「単語や用語を検討するんですよね。

 では、恐縮ですが自宅まで、おいで頂けませんか。

 いろいろと、お仕事の参考になる本もあると思います。 

 古めかしくって、ちょっとびっくりされるかも知れませんが・・・」

 

おうちに?うそ!

 

「いえ、そんな・・・でも、本当によろしいのでしょうか?」


「1時に博物館前の噴水でいかがです?」


「はい、伺います」

 

 

 

 

 

田山さんの自宅。

あの感じだと、てっきり都内のマンション住まいだと思っていたのに。

 

相手をよく知らないうちに、お宅に伺っていいのかどうかわからないけど、

大学の准教授で、お人柄も申し分なさそうだから大丈夫よね。

 

それに田山さんがどんな家に住んでいるか、すんごく興味ある。

 

『古めかしい』

って、どんなお家なの?

 

 

美鈴は途中で買った、どら焼きの袋を抱え直した。

親の代から上野育ちに地元の銘菓、というのも気が利かないが、

上野と言ったら、ここのどら焼き以外思いつかない。


田山へのお土産の他に、自家用にも幾つか買い込んでしまった。


まだ、ほんのりあったかい・・・。

 

 

 

 

 

博物館前の噴水は、たいそうにぎわっていた。

カップルに子ども連れ、年配グループなどが思い思いの姿で噴水をながめている。

 

さて田山は・・・、と見回すと、鳩やスズメの群れに、

一羽だけ真っ白い鶴が混じったように、すっきりした姿が池の向こうに見えた。

栗色がかった髪に陽射しがこぼれて、きらきらと輝いて見える。

 

しばらく反対側からこっそり見とれていると、田山も美鈴に気がついたらしく、

池を回り、長いストライドでこちらに向かって来た。

 

どんな顔で待てばいいのか、目をそらすのも見つめるのも

耐えられなくて、美鈴はもじもじと自分の靴に視線を落とした。

 

「みすずさん・・・」

 

柔らかい低音が、自分の名前を呼ぶ。

顔を上げると整った顔立ちがすぐそばにあり、

まぶしくて、また視線を落としてしまった。

バカみたい。

 

「靴がどうかしましたか?」

「いえ・・・別に何も。」

 

あわててかぶりを振りながら、もう一度見上げると、

今にも笑い出しそうな表情だ。

 

「ここまで来てくれてありがとう。

 けっこう混んでたでしょ?」


「いえ、あ、はい。あ、それほどでも・・」


「あはは、むずかしい返事ですね。」

 

田山がおかしそうに声をあげて笑った。

 

「僕の家は、ここから歩いて10分もかかりません。

 では、行きましょうか?」

 

「はい!」

 

田山の背中越しに噴水が滴を散らし、ぱっと光にくだけた。

あたりの景色がきらめいている。

なんて不思議なんだろう。

 

今日の田山はジャケット姿ではなく、洗いざらしたデニムを履きこなし、

大学教授には、到底見えない。

 

そう言う美鈴自身も、今日はいつもの超地味スーツではなく、

ピンクの小花柄トップに細身のパンツである。

髪も仕事のときみたいにきゅっと引っつめず、自然に下ろしている。

 

「今日はお仕事のときと、ずいぶん感じがちがいますね。」


「そうですか、いつもはこんななんですけど。」

 

美鈴は緊張して質問に答えるのが精いっぱいなのに、

田山はポケットに手を突っ込んで、ゆうゆうと散歩を楽しんでいるようだ。

 

「まこっちゃん、まこっちゃん!

 こらぁ、まこと!」

 

 

迫力のある声が聞こえて来て、急に足が止まった。

声のした方を振り返ると、赤い革ジャケットの年配女性が

盛大にこちらへ手を振っている。

 

手には、『上野、下町さんぽ』という幟を持ち、

周囲を取り囲んでいる帽子とリュック姿の年配男女が、

何事かとこちらを凝視していた。

 

「ああ、つやこおばさん、こんにちは。

 ツアコンですか?」


「そうよ。休日は『上野下町さんぽ』のボランティア・ガイドやってんの。

 みなさん、ちょ〜っとだけ待っててね。」

 

つやこおばさんと呼ばれた年配女性は、ツアーの客に言いおくと、

かくしゃくと、こちらに向かって来る。

 

「こんにちは。」

 

なんとなくこちらから挨拶しなきゃならないような圧力を感じて、

美鈴がお辞儀をした。

 

「こんちは。

 この子が、あんたが鰻屋に連れてったって子かい?

 別にそれほど堅っくるしくもないじゃないか。

 お嬢さん、いくつ?」


「に、27です。」


「ふうん、見た目より行ってるね。

 まあいい、若々しいってことさ。結構だよ。

 で、仕事は何してるの?」


「つ、通訳です。まだ新米ですが・・」


「つうやく?そりゃ、すごい。

 大統領が来たとき、演説を早口で日本語で言い直したりするアレかい。」


「いえ、まだそれほどでも・・・」

 

 

田山がさりげなく美鈴の前に進み出ると、

 

「おばさん、あっちで皆さんが、首を伸ばして待ってますよ。」


わ、いけね!


「んじゃ、あとで寄るよ。まこっちゃん!」

 

こちらに向かって大きく幟を振ると、よく通る声で、

「みなさん、お待たせ〜〜!」と怒鳴っているのが聞こえる。

背筋をぴんと伸ばし、さっそうとした歩きっぷりだ。

 

「迫力のあるおばさまですね。」

 

後ろ姿を見送っている田山へ、取りなすように言ってみた。

 

「元SKDなんです。『男装の麗人』ってヤツでね。

 SKDって知っていますか?」

 

美鈴が首を横に振ると、

 

「タカラヅカみたいなレビュー劇団が、浅草にもあったんです。

 あの人はいっとき、看板スターだったらしいですよ。」

 

へえ。道理で姿勢はいいし、声が通る。

 

「あの世代にしては、背が高くてスタイルがいいですね。

 あの・・・もしかして、あのおばさまも・・・」


「そう、母の同級生です。しかも筋金入りの『お見合い世話人』でもある。

 鰻屋のおばさんから、いろいろ情報が出回ってるんだな。」


「あの、わたしのこととかですか?」


「そうです、美鈴さん、これは気をつけないと。

 この先、何が出ても驚かないで下さいね。」

 


少々水をさされたものの、だからと言ってこの散歩が楽しくなくなったわけでもない。

元SKDスターの登場で、却って緊張がほぐれ、田山との距離が縮まった気がした。

 

反対に田山は口元を引き締めて、さっきより緊張した雰囲気を漂わせている。

 

 

「芸大の傍を通って行きましょう。」


「はい」

 

歩き続けていると田山の携帯が鳴った。

発信者を確認した田山はあたりを見回し


「ああ、失礼。ちょっとここに入っていいですか?」

 

田山が指さしたのはレンガ敷きの中庭だ。

中央の木の奥にテーブルと椅子が並べられ、コーヒーを飲んでいる者もいる。

芸大ギャラリー、とあった。

 

電話に出ながら、田山は美鈴にギャラリーを指さした。

自分が電話中、展示を見ていて欲しい、と意味だとわかり、

うなずいてギャラリーへ足を踏み入れた。

 

芸大卒業生による彫金展で、作家のプロフィールを見ると、

美鈴とあまり年の変わらない人や、もっと若い作家もいる。

 

七宝を使ったもの、針金を使ってモダンな造形に仕上げたもの、

金の細い透かしを多用し、てんとう虫やトンボなどの昆虫を象ったものなど、

センスあふれた作品が多く、美鈴は感心した。

 

自分の超地味な黒子スーツに、こんな繊細なブローチを留めたら、

少しは野暮ったさが減るかもしれない。

 

ひとつずつ興味深く見て行くと、ガラス越しに陽のあたった中庭が見え、

田山が椅子に座って手帳をめくりながら、電話を続けている。

 

流暢な英語が途切れ途切れに聞こえて、

ほんとに国際的に活躍している人なんだと、美鈴は感心した。

 

さらに展示を見ていると

「お待たせしました」という声が聞こえ、入口そばに田山が立っている。

 

 

「何か、気に入ったものは見つかりましたか?」

「そうですね・・・でも、ドレにしようか迷ってしまって。」

 

改めて、見直すたびに美男である。

顔を見る度、赤くなっているんじゃないかと心配しながら、

美鈴は田山の後ろに続いた。

 

 

 

 

 

 

8 Comments

  1. きゃ!田山さんだ*^^*
    >鳩やスズメの群れに、
     一羽だけ真っ白い鶴が混じったように、
    思わず笑ってしまった
    そうでしょう、そうでしょう!
    いつもさわやかな登場だわ~♪
    舞い上がる美鈴の気持ちもわかります。
    そして、気になる『古めかしい家』
    この間は、お墓も出てきたし~まだ疑ってる私(笑)
    田山さん、この辺りでみなさんに大事にされてますね~
    ガイドボランティアのおばちゃん、強烈な印象で、
    その風貌を勝手に想像してます♪
    ああ~、私も田山さんに『れいもんさん』と呼ばれてみたいわvv*

  2. 仕事がらみの会う口実がこんなにすぐにやってきて、
    今度はお宅訪問とは!!!
    リアルに上野公園の景色が浮かんで、
    博物館の前に行ったら、田山先生がいるかも,
    ツアコンつやこおばさまにも会えるような錯覚が・・・・
    おまけに”まこちゃん”だって!!!
    地域に愛されてますね、田山せんせいっ!!!
    早くその古めかしいお宅が見たい~~~!!!

  3. れいもんちゃん、ありがとう!
    今年のみかんはもう豊作かな。
    >そうでしょう、そうでしょう!
    >いつもさわやかな登場だわ~♪
    元々、見目がいいのもあるかもしれませんが、
    自分の気になる人は、目につくんでしょうね(笑)
    >そして、気になる『古めかしい家』
    >この間は、お墓も出てきたし~まだ疑ってる私(笑)
    うふふ、今回家の戸口まで行けるかと思ってたんですが、
    邪魔が多い、このエリア。
    地元って挨拶するのにいちいち時間かかりますよね。
    >ガイドボランティアのおばちゃん、強烈な印象で、
    元SKD(ヅカみたいなものです)の男役。
    鰻屋のおばさんに続いて登場(笑)
    >私も田山さんに『れいもんさん』と呼ばれてみたいわvv*
    うふふ、「名前を呼んで」

  4. mamaさん、
    >仕事がらみの会う口実がこんなにすぐにやってきて、
    >今度はお宅訪問とは!!!
    最初の頃って、会うのに口実が要るんですよね。
    それにしても、仕事先でも大学の近くでもなく、また「上野」(笑)
    >リアルに上野公園の景色が浮かんで、
    >博物館の前に行ったら、田山先生がいるかも,
    >ツアコンつやこおばさまにも会えるような錯覚が・・・
    ありがとうございます。
    で、鰻やさんに行って、どら焼きをお土産に買う、と。
    >地域に愛されてますね、田山せんせいっ!!!
    愛されてますが「マーク」されてます。
    目立つし・・・。
    >早くその古めかしいお宅が見たい~~~!!!
    来週はその「古めかしい」お宅が出てまいります(笑)

  5. どんだけ田山さんが光り輝いてるのか・・・
    美鈴ちゃんのリアクションだけでわかります。。。
    「この先、何が出ても驚かないで下さいね」
    やっぱり、タヌキだったりする???

  6. レス遅くなっちった(^^ゞ
    コーディネーターの羽柴さんって“仕事に厳しく、言う事は言う!”って以上に
    言い方が意地悪なんじゃないかい?
    この間の坊や(山田くん?)なんて、気が利かないし自分の仕事わかってないしのくせに
    告げ口だけはしてくれちゃって・・・。
    ほんとによく頑張ってるね、美鈴さん!^^
    そして、田山さん家へご招待~~(#^.^#)
    今度は聞く事忘れないでね。
    でも、美鈴さん!
    >研究者の膨大な原稿をたった二日で読み下せるだろうか。
    って不安がってたのに、その貴重な1日を“むふふ”で過ごしちゃって大丈夫?
    残りの1日、死にそうになっちゃわないかと要らぬ心配をする私です^^

  7. きみりんさん、
    お返事遅くなってすみませ〜〜ん!
    >どんだけ田山さんが光り輝いてるのか・・・
    美鈴ちゃんのリアクションだけでわかります。。。
    うふふ「美は見る者の目に宿る」ってことで、
    美鈴には特別輝いて見えるんでしょうね。
    >やっぱり、タヌキだったりする???
    タヌキってあんまり物語でロマンチックに登場しないですな。
    何でかな?
    あのとぼけた顔のせいかしら(笑)

  8. ちのっちちゃん、
    >レス遅くなっちった(^^ゞ
    いえいえ、ありがとう〜!
    >>研究者の膨大な原稿をたった二日で読み下せるだろうか。
    >って不安がってたのに、その貴重な1日を“むふふ”で過ごしちゃって大丈夫?
    きゃは、痛いところを突かれました。
    状況から考えると、すばやく単語リストを検討して
    即刻家に戻り、原稿の読了に努めないとまずいのかも。
    しかし、今の美鈴にそういう正常な判断が下せるかな。
    「むふふ」もホドホドにして帰らないとなりませんねえ。
    「おーい、みすずぅ、宿題が終わってからにしなさ〜い♪」
    聞こえないか(笑)

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