21キリギリスの誓い

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 鍋があらかた空になった頃、
つやこおばさんが、やや神妙な調子で切り出した。

 

「昼間、アメ横でちょいとあったらしいね。」

 

テーブル越しに、向かいをのぞき込んできたが、
訊かれた美鈴の方は椅子から半分ずり落ちており、
横から田山がさりげなく腕を回している。

田山が支えていなければ、椅子から落っこちるのは間違いないが、
酒のせいで、状況認識能力が著しく低下しているらしく、
赤い顔のまま、ほんわりと身をまかせている。

向かいに座るおばさんたちは、当初、田山の積極さに驚いたものの、
時間が経って見慣れてきたのか、接近姿勢の二人に構わず、
自分たちのおしゃべりに花を咲かせていたのだ。

 

「ああ、あたしはよく知らないんだけどさ」

 

ちあきおばさんが、心配そうに美鈴と田山をみくらべると、
つやこおばさんが小さくため息をついた。

 

「うちのマサは、あれもシノギの一種だって吹いてるけど、
 どうで、まともな仕事でもないし。
 すずめにも説教頼んでんだけど、聞く耳持たないからねえ。
 こっそり大福持ってきてくれたり、優しいとこはあんだけどさ。」

 

あれえ?マサさんってつや子おばさんの息子らったの?

 

美鈴は、記憶の中のマサと目の前のつや子おばさんを何とか比べてみた。
うん、そういえば、似てるかも。
て言うか、そっくりだぁ。

 

「マサはあんたのことが気に入ったらしいね。」

 

下町風にぱきぱきし過ぎてんのはうんざりだって、つねづね言ってたけど、
あんたみたいな堅そうなのに目えつけるたぁ思わなかった。
ったく、浅草の雷おこしよか、堅そうじゃないか。 

「あたしは、まだあのおこし、噛めるよ。
 巣鴨のぬれせんよか、ずっといい。
 せんべいには歯ごたえがなくっちゃねえ、どうも」

ちあきおばさんがちゃちゃを入れた。

 

「まこっちゃんの彼女じゃなかったら、どうか、うちのマサをよろしくって、
 土下座して頼むとこなんだけどな・・・」

まあ、勝ち目ないしねえ。

つやこおばさんが、ちらと二人に目をやると、
今まで穏やかに聞いていた田山が美鈴の肩をぐいと引き寄せ、

 

「それは、おばさんでも、誰の頼みでも聞けません。
 彼女を離す気はまったくありませんから。」

 

きっぱりとそう宣言したので、美鈴は思わず肩越しに、
田山の顔を見上げてしまった。

口をぽかんと開けている美鈴に、優しいまなざしを向け、

 

「本当ですよ」

 

ぼわっと顔が熱くなったと思ったら、
真正面から盛大なため息が聞こえた。

 

はああ・・・・。


おばさんたちが、いっせいに首をうなだれて、肩を落としている。

 

「いっぺんでいいから、そんなセリフ、
 まこちゃんみたいな男っから、聞いてみたかったねえ。」

「ほんとだ、ホントだ、あんたは天下一の果報もんだよ。
 さ、飲んだ、飲んだ!
 こんなセリフ言われて、ぐぐっと空けなきゃ、女がすたる!」

 

つやこおばさんが、また酒をついでくれ、
それをしおに、おばさんたちのボルテージがさらに上がったようだ。
美鈴の頭では、さっき耳元を撫でた柔らかい声音が反響して、
はてしなくリピートしている。

本当ですよ、本当ですよ、ほんとうですよ、ほんとう・・・

 

 

 

空き缶が何本か。
さっきまで飲んでいた一升瓶もごろりと床に転がっているのを
目にした覚えはあるような・・・はっきりした記憶はない。

いつ頃かは定かではないが、
ある時点から、世界がゆっくりと回りだした。
トイレに行こうとすると、自分がちゃんと歩けないのに気づいた。

 

「僕が連れて行きますよ」

「バカお言いでない。こんな姿は男に見せたくないもんなんだよ。」

「そうだよ。あたしたちに任せときな」

 

ちあきおばさんに付き添われ、トイレに行ったまでは覚えているのだが、
急に吐き気が襲ってきて、座らずにしゃがみこんだ。

ずいぶん吐いてしまったように思う。
胃の中があらかた空っぽになったのに、
吐き気と世界がぐるぐる回っているようなめまいが収まらず、
誰かに背中をさすってもらいながら、なおも吐き続けた。

体はままならなかったが、耳は聞こえた。

 

こら、つやちゃん、飲みなれない若い子にこんなに飲ませて。
いける口にみえたんだよ。顔色悪くなかったしさ。
まこちゃんの未来の嫁さんを、酔いつぶしてどうするよ!
ああ、ごめんねえ。まいったねえ。

仏間に布団敷いたから。
まこちゃん、手を貸してえ。

美鈴さん、だいじょうぶですか?

 

おだやかな低音が耳のそばでしたと思うと、ふわっと体が浮き上がった。
手足にまるで力が入らなくて、死体になったみたいだ。

そろそろと空中をはこばれ、薄暗い部屋に入ると、
ひんやり冷たい空気が肌をなでた。

まこっちゃんはあっち。ほれ。まだ、いちおう嫁入りまえだからね。

さ、汚れものは脱いじまいな。楽にしよう。

あんたのお姑さんの寝巻だ、もう文句言えないとこにいるから心配しないでいい。
慣れないだろうけど、一晩くらいなら・・・。

 

汗びっしょりのブラウスとブラまでも外された気がする。
どちらかが、温かいタオルで汗まみれの体を拭いてくれた。
さりっとした肌触りのものを着せられ、布団に押し込まれる。
少しでも目を開けると、ぐぅ~んと天井が回転する。

 

ここに金だらい、おいとくからね。

気分わるくなったら、遠慮するんじゃないよ。

とにかく少し休みなさい。何も心配しないでいいから。

 

襖の開く音がして、
彼女は大丈夫ですか?の声が聞こえた。

 

だいじょぶ、だいじょぶ。

ね、こうしてると、どことなくしのぶを思い出すね。

そうだね、起きて動いているとまるで似てないけど、
目え閉じて横になってると、あんたのおっかさんの寝姿を思い出すよ。

あの人、パジャマが嫌いで着なかったからねえ。

踊りやってたから、浴衣着なれてたんだね。

おばさんたちの話し声が遠くに聞こえる。

 

「まこちゃん、今日は、あっちへご飯をあげてないけど、
 明日んなったら、すぐ持っていくからね。
 いちんち位なら、待っててくれるだろ。」

「機嫌悪くして、騒いでんじゃないの?」

「さわがしときゃいいさ。そこのお嬢さんには、言うんじゃないよ。」

「そうだよ。そんなのがいて、喜ぶ若い子なんていないからさ。」

「いろいろ難しいとこもあるしねえ。」

 

目を閉じ、体は全く動けなくとも、耳は聞こえるものだ。
なるほど、いまわの際に悪口を言うもんじゃない、って、こういうことか。

美鈴は妙な連想を変に思う余裕もなく、

ご飯をあげなきゃならない人って誰だろう?
隣の下宿人のこと?

訊いてみようかと思ったが、声が出ないのであきらめた。
ちょっと休んでから、あとで訊いてみよう。

そう思うとたちまち眠りに落ちていった。

 

 

 

地面がゆがんでまっすぐ歩けない場所を、何かを求めて走り回る夢を見た。
岩陰に水音がして、やっと着いた、と思ったら、手の届かない場所で、
どうしても行くことができない。

暑くて、つらくて、ノドが乾ききっているのに。

水にぬれた岩場に手を伸ばすと、緑色のバッタたちが岩をぴょんぴょん登って行く。
バッタならジャンプして行けるんだ。ああ、暑い。

急にすうっと体の熱が引いた。
冷たい岩場に頭をつけて濡らすとほんの少し楽になる。
でも相変わらず、水は飲めない。ここはどこだろう?

 

 

ボーン、という柱時計の音が聞こえ、美鈴はおそるおそる目を開けた。
見慣れない天井の木目に、ここはどこかと一瞬、混乱する。

和室の天井には、終夜灯の電気が灯され、
ふと鴨居を見上げると、写真のおばあさんがこっちを見ている。

怖い、というわけではないけれど、妙に生々しい雰囲気の写真だ。
本人がすぐそこにいて、こちらを見つめているよう。

それに比べ、隣に並んだおかあさんの写真は、ひっそりと落ち着いていた。
見ればみるほど、あでやかな美人だったのだろうとしのばれる。

少し落ち着いて、部屋の外の物音に耳を澄ませると
しのびやかに廊下を歩き回る音がする。

さらに聞いていると、ガラガラ・・・とかすかな音がして、
引き戸を開け、誰かがひっそりと外に出て行った気配がした。

今、何時かわからないけど、おばさんたちはもう帰ったろうし、
ここには自分と田山しかいない筈だから、
出て行ったのは、田山ということになる。

眠ったせいか、吐き気はかなり治まったが、
かすかに酔いが残っているような心持だった。

しばらくふとんの中でじっとしていたけれど、一向に戻ってくる気配がなく、
そのうちに、ノドが乾いてたまらなくなってきた。

起きて、お水だけ飲んでこよう。

自分に理由付けをすると、温かいふとんから、ごそごそと忍び出る。
不意にめまいがしたが、ずっと回っているという状態は脱していた。
汗が急に冷え、背筋がぞくっとする。頭が重い。

自分の着ているものを改めて見てみると、ゆかたの寝巻を着せられていた。
故郷のおばあちゃんが昔、寝るときに使っていたようなやつ。
胸元が少しはだけていたが、肌触りは悪くない。


枕元に半纏のようなものが畳んでおいてあったので、
いろいろ借りついでに羽織らせていただくことにした。
藍縞の半纏は羽織ると軽く、浴衣一枚で
ふとんから出たばかりの体を冷やすことなく包んでくれる。

しばらく袖を通していなかったようだが、古臭い匂いもなく、
よく着こまれていたらしく、体に柔らかくなじんでくる。
これを着ていたおかあさんと言う人を想像してみた。
色白、あでやかな美人で、きっぱりと着物を着こなしていたに違いない。

襖の黒い引手にそっと手をかけ、仏間を出た。

玄関は暗かったが、終夜灯がつけてあり、まっくらではない。
茶の間を通り抜けて台所へ行き、コップに水を汲むと、
一息に飲みほした。

おいしい。

冷たい水が染み渡って、体じゅうの細胞が生き返るようだ。
たまらずもう一杯汲んで飲み干すと、そっと玄関に戻る。
柱時計は1時をさしていた。

なんだ、まだ1時か。

眠りこんでしまったせいで、もう明け方近くかと思っていたが、
まだ夜半過ぎである。
いつもならマンションの部屋で、仕事の下調べをしていることもある。

玄関のたたきを見ると自分の靴に並んでいた、田山の靴がない。

こんな夜中にどこへ?

急に思い立ってコンビニにスイーツを買いに行く、というタイプには思えないし。
仕事で熱くなった頭をひやしに、庭に出ている、とか。

たたきのすみっこに庭下駄ならぬ、つっかけが置いてあるのに誘われ、
はだしの足を、そっと入れた。

そろそろと玄関の引き戸を開けていったが、
おばさんたちの手入れがいいのか、さほどの音もなく軽やかに開く。

玄関を出ると、枝に頭をぶつけないように、気をつけて歩き出す。
いつも根っこにつまづいたり、頭から露をかけられた楓の木も
今は葉をおさめ、静まり返って眠っているらしい。

みすずが庭へ踏み出すと、いっしゅん、あたりがしんとなる。

立ち止まって見上げると、真っ暗な空に遅い月がかかっている。

下弦の月だ。そろそろ西の方へ傾き始めており、
満月の頃の圧倒的な光には及ぶべくもない、
控えめな銀の光を庭全体に投げかけている。

足元は暗くてよく見えないが、続き長屋の方を見ると
一度も人の気配を感じたことのない、向かって右側にある窓に
ぼんやりとした光がともっていた。

あそこは何だろう?

手前側の窓にもかすかな明かりが見え、
こちらの住人もまだ起きているのかしら、といぶかりつつ、
美鈴はしばらく佇んでいた。

不意に、いっせいに虫の音が戻ってきた。

コロコロ、すいーっちょ、りーりーりー、ちぃちぃちぃ・・・。
こんな都会のど真ん中にしては、賑わしいほどの虫の声だ。

田舎で聞きなれていた虫の音に力を得て、
美鈴は続き長屋のほうに体を向けた。

何があるんだろう?
青髭公の城じゃあるまいし、開かずの扉、というのは穏やかじゃない。

 

「あっちに近づくんじゃない。」

「今日は、あっちの方へご飯をあげてないから。」

 

つねよおばさんや、ちあきおばさんの言葉が耳によみがえる。

座敷牢とかってわけじゃないよね。
わけありの人がそっと匿われているとか。

でももし、そうだったらどうしよう?
でもあの真さんが悪いことをしているはずはないし。

行ってみよう。

数多くのおとぎ話で、禁忌をやぶった者たちと同じく、
わたしにも変事が降りかかるだろうか。

いえ、真さんは青髭公じゃない。

わたしが尋ねたら、なんでも答えてくれると言った。
夜中にそっと忍び出たわけを教えてほしい。
近づいてはいけない、扉の奥の秘密を教えてほしい。

美鈴は心を決めて、長屋の方に足を踏み出した。

 

6 Comments

  1. うれしいです。
    田山さんと美鈴さん他にお会いすることができました。
    次回、いよいよ不思議ワールドに突入ですか?
    今から、もう次が待ち遠しいです。

  2. 更新、とてもうれしいです。
    行ってはいけないと言われているのに・・・・・やっぱり行っちゃいけないですよ。
    そのうちいろいろわかるようになると思うから・・・・。
    でも一体なんだろう。
    ご飯をあげてない・・・?
    そんなのがいて若い子が・・・・?
    次回になったらわかるのでしょうか・・・・。
    こわ~い。

  3. Annaさん、UPありがとう~~^^
    美鈴さん、なかなかに奇心旺盛なひとだったのね(^_^;)
    近づいちゃいけない!って言ってるのに・・・
    でも、そこに田山さんがいると思えば・・・私でも近づいちゃうかな(^^ゞ
    毎日ご飯をあげて、いちんち位ならあげなくても大丈夫で、でも機嫌悪くなって騒ぎだしちゃうかもで、若い子はよろこばない・・・
    なぞなぞか?・・・(-“-)
    果たして美鈴さんは、開かずの扉を開けてしまうのか・・・
    ・・・薄暗がりの中から田山さんが振り返り『見~た~な~~』 ギャーッ!!!
    な~んてことは・・・ある訳ないしな・・・^^
    ・・・薄暗がりの中で巨大カマキリのヤン夫人が機織りをして『見~た~な~~』 ギャーッ!!!
    ・・これは私的には一番恐ろしい・・・
    さあ、鬼が出るか蛇が出るか、はたまたAnnaさんの肩すかしか・・・^_^;
    また来週のお楽しみ、ですね。待ってま~す^^

  4. こんばんは、
    何とか21話をアップいたしました。
    読んで下さってありがとうございます。
    一週間って、こんなに短いのね。
    ★匿名さま。
    うれしいと言って下さって、わたしもすごくうれしいです。
    ここで切るのもナニですが、ちょっとだけ、というわけにもいかず。
    どうか、次回をお楽しみ(いただけるかな?)下さい。
    ★体育座りのキーナさま、
    >行ってはいけないと言われているのに・・・・・やっぱり行っちゃいけないですよ。
    そ~です!君子あやうきに近寄らず。
    賢い子はマネしちゃいけません。
    でも君子って少ないから(笑)
    >次回になったらわかるのでしょうか・・・・。
    こわ~い。
    わたしも皆様にどう思われるのか、こわ~い。
    ★ちのっちちゃんんんん、
    ○ミが大の苦手なのに、こんな話について来てくれてありがとう!
    >近づいちゃいけない!って言ってるのに・・・
    うふふ、そうなのよ、やっぱ我慢できないのよ(笑)
    でも「ダメ」って言ったのは、おばさんたちだもん。
    田山さんが言ったわけじゃない。
    んだから・・・、と美鈴も心の中で言い訳してると思います。
    >さあ、鬼が出るか蛇が出るか、はたまたAnnaさんの肩すかしか・・・^_^;
    うえ~~、こわいよぉ・・・
    スカッと三振、こらど~だ?(スカッとさわやかコ○コーラ)
    (地口病がまだ続いてマス)
    思い切り外したら、荷物をまとめて上野の山にかえります。

  5. うぅ~~~「あっち」って、、、怖い??
    美鈴さん、行くなと言われた「あっち」に
    それも真夜中によく行けますね~ –;
    愛しの真さんだけれど、しっぽが生える程度はOK
    でも行灯の油なめていたらもうアウトだわ^^;
    イヤ、Annaさんはきっとイイ男好きだろうから
    ホッと安心^^の田山さんに戻してくれることを信じて!!
    あと1週間、  待ちます!!! ^^。

  6. hiroさん、ありがと~~!
    >美鈴さん、行くなと言われた「あっち」に
    それも真夜中によく行けますね~ –;
    ホントですよねえ。無謀よねえ、
    好奇心が強いのか、怖いもの見たさか。
    それは皆様も同じでしょうか。
    >しっぽが生える程度はOK
    でも行灯の油なめていたらもうアウト
    はい、たまわりました(笑)
    オオカミに変身するのは?
    血を吸うってのは?
    蚊の生まれ変わりだった、とかって、ゲームだな。
    どうも余計なことを言いそうなので、引っ込みます。

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