24キリギリスの誓い

kirigirisu_title.jpg

 

 

秋は通訳者にとって多忙な季節だ。

国際会議や学会が多く、各界の授賞式や、
来日ビジネスマンのセミナー、シンポジウムなども盛んに開かれる。
午前と午後、違う仕事を受けることも珍しくはなく、場合によっては
さらに夜、別の団体の「授賞を祝う会」などが入ったりする。

国際会議で同時通訳ブースに入る場合は座りきりだが、
講演などでスピーカーが立っている場合は通訳者も座れない。
立って歩いて、声を張り上げ、自分の脳をつかって言語を変換。
しゃべってなんぼの肉体労働、体力勝負の世界なのである。

そんなわけで田山の家から帰った翌日も仕事がびっしり。
二日酔いのもうろうとした頭で準備をし、足首にテープを巻いた。

 

朝イチは金融関係のビジネス通訳。

長く下を向いていると気分が悪くなりそうで、
スピーカーの顔を見ているふりをしながら、必死にメモを取り、
「みなさま、おはようございます」に続く部分を訳そうとすると、
自分の書いたメモがまるで判別できない。

うっと焦ったが、すでにその場全員の注目を浴びてしまっている。
背中から冷や汗が噴き出したが、ともかくも頭に残っていた言葉で訳出し、
次からはメモ書きをぐっと大きくした。


そのせいで腕は疲れるし、2時間の通訳でノート2冊を書きつぶしてしまい、
次の現場に行く途中、コンビニでノートを調達しなければならなかった。

 

午後は美人テニスプレーヤーの取材が、宿泊しているホテルの部屋で行われ、
インタビューの間じゅう、次の記者が廊下で待っていて、
終わり次第、すぐ次の取材が始まる。
切れ目なく3つ受けたところで、テニスプレーヤーはトイレに行ったが、
戻ってくると、即、取材再開で、どうしても美鈴はトイレに行けない。

5社目の取材で、インタビュアーと波長があったのか、
熱心に自分のことを語り始めた。

 

「夢をあきらめたことはなかったわ。
 絶対にプロになれると信じていたから、国を出るのも不安がなかった。
 でもそんなとき、ずっと一緒にやってきたパパが急に倒れて・・」

「それは不安だったでしょう」インタビュアーが水を向けると

「初めて、自分がどんなにパパに頼っていたのかわかったの。
 大嫌いだった基礎トレやランニングも
 ひとりできっちりやって、毎晩神様にお祈りしたの。
 一生懸命やりますから、どうかパパを治してくださいって」

 

トイレを我慢しすぎて、メモを取る手が震えてきたのを、
記者は美鈴が話に感動していると思ったらしく、とんとんと美鈴の背中をたたき、
自らもハンカチで目もとを押さえる。
プレーヤーの声も涙でかすれ、

 

「そんなときでも試合のサーキットには出なきゃならなくて、
パパがベッドから青い顔で見送ってくれるのに、笑顔で応えて・・・」

 

感動的なエピソードの最中なので、細かく足踏みしながらこらえていたのだが、
アルコール分解のため午前中、水をがぶ飲みしたのも利いたのか、
とうとう我慢ができなくなり、

 

「すみません!」

 

いきなり立ちあがると、テニスプレーヤーとインタビュアー双方が仰天した。

トイレから駆け戻ってきたときの恥ずかしさ。
インタビューの流れも止めてしまったので、実に申しわけなかったが、
二人が大笑いして許してくれたので、ほっとした。

 

 

夜は「HAIKU」の国際交流会。

予想に反して、若い人の姿もかなり多かったのだが、
半数以上はやはりご年配世代。
ご年配世代が頑張って、立ったまま「交流」しているのに、
いくら足首をくじいているとは言え、若い美鈴が座るわけにもいかない。

おまけにご年配世代は話がていねい、言い換えれば長くて冗長なのを、
美鈴がごく簡潔な短い英語に直してしまうのが気に入らないらしく、

 

「ねえ君、ぼくの言ったこと、ぜんぶ伝えてくれてる?」

 

不審げな目を向けられ、ますます説明が長く、しつこくなるのに構わず
どんどんまとめてしまった。
通訳コーディネーターに

「今日の通訳のひと、はしょって伝えてたわよ」


とチクられそうだが仕方ない。英語ってそういう言語なのだ。

 

最後の仕事が終わると、脳が膨張してスポンジになったみたいな気がする。
これほど分野ちがいの仕事がぶつかるのも珍しく、疲れが倍加した。

主催者から「おつかれさま」と「終了宣言」をいただくと、
タクシー乗り場に直行し、マンションの住所を告げる。

 

 

明日の仕事はふたつ。


午前中、通訳学校の講師をしてから、
夕方、熱帯雨林保護活動に関するシンポジウムの通訳。
資料読みはほとんど終わっていたが、完全ではないから、
このまま帰ってばたんと寝る、という贅沢は許されていない。

それでも熱いシャワーを浴びて、お気に入りのソファに座ると
どうにか気分がほぐれてきた。

長い一日だった。
温かいミルクティーの入ったマグを手で包みながら、
ベランダに面した窓のカーテンを見上げると、
うす黄色くぷっくりと細長いものが引っかかっている。

 

何だろ?

ちょっとだけ膨らませた風船みたいな・・・?
細長いガクみたいなものが付いているし、植物かな?

 

目を近づけると「それ」がぷくんと震えて反り返り、
下からくるんと三角の頭が現れた。

 

うわああああっ!

 

悲鳴をあげて飛び下がった。
さかさまにぶら下がっていた、ちびカマキリの「ロン夫人」だった。
先日、見かけたときより、腹部の豊満さが増している。
臨月なのだろうか?

ヤン夫人より小ぶりで、やや黄色がかっている小さな頭が、
まじまじと美鈴を見ている。
ひととき見つめ合うと、さささ、とカーテンの裏に隠れてしまった。

「ロン夫人」の登場で、ずっと頭から締め出していた田山のことが思い出された。
ついでに、ぞわぞわと黒いものに襲いかかられた恐ろしい記憶もよぎったが、
考えてみれば、自然環境や生物の生態を研究する者が昆虫を飼うのは
当然なのかもしれない。


美鈴が考え過ぎたように、何かが閉じ込められているわけでも、
あやかしが行われているわけでもなかったのだ。
おばさんたちが近づくな、と言ったのも、美鈴を驚かさないようにとの
配慮だったのだろう。結果はまるで逆になってしまったけど。

 

見るな、と言われたから、見たくなっちゃったんだろうな。

 

自分の中に潜んでいた「好奇心」や「怖いもの見たさ」にも呆れた。
おとぎ話だったら、とっくに死んでるタイプ。
それに、あの夜、階段を下りてきた田山には、
ぞっと体をすくませる異形の雰囲気があったが、
もしかしたら、自分が極度に怯えていたせいかもしれない。

それよりも翌朝、美鈴を心配して優しく手当してくれた様子や、
送り出したときの、少し悲しそうな、何ともいえない切ない表情もよみがえった。

 

ごめんなさい。
どうしても、あの時、あなたを受け入れられなかった。

 

急にぐらついた自分を支えてくれた、腕の確かさを思い出した。
痛めた素足の上をたどった優しい指の感触も。
もっと前に田山の部屋で交わしたキスの味も。

 

涙が浮かんできた。

田山が何であろうと、もうとうに好きになってしまっているのだ。
端正で穏やかな容貌の下にしまいこまれた孤独が、
今なら見える気がする。

 

僕とここで暮らしてくれませんか?

 

暮らしていけるだろうか?
あの家で、あの瞳の持ち主と。
絵描きもどきや、どうやら他にもいろいろいるらしい敷地の住人たちとも一緒に。

ミルクティを飲み干すと、頭を振ってきっぱり立ち上がった。
この問題は後回し。とにかく明日の準備が先だ。

 

 

 

しばらくは通訳と講師の仕事に没頭した。
中には一度依頼を受けた、日本のメガネ会社からのものもあった。
美鈴にいい印象を持ってくれたらしく、指名で依頼をくれたのだ。

そういえば、ピエールともあのままだわ、と思い出しつつ、
今回、メガネ会社が接触したのはイタリアのデザイナーズブランドだ。

ライセンス先がひとつではないのなら、ピエールのメガネ会社から
ライセンシーを切られても、直ちに困ることはないのかもしれない。
美鈴は自分の心配が取り越し苦労だったかもとわかって少し安心した。


 

通訳学校の講師部屋には、連日のハードワークに疲れた顔ぶれが
不機嫌そうに並んでいたけれど、ここに来ると、ほっとする。

ほとんどが初対面の、極度に緊張した場面で行われる現場の仕事と違って、
決まった顔ぶれの生徒、同じスタッフ、同じ場所で
仕事ができるのはここしかないのだ。

講師の給料は現場の仕事と比べるべくもないので、
ハイシーズン、講師に時間を取られるのを嫌う者もいるが、
受けた仕事に変わりはない。
教師として生徒たちの力にもなりたい気持ちもあり、
美鈴は講師の仕事を楽しんでいた。

トップクラス通訳者として売れっ子の椿は、
当然のように授業の代行を頼んで、ここのところ姿が見えない。

 

「進級試験が近いって言うのに、自分のクラスの生徒を
 いつまでもほったらかしにして、どういう神経なのかしらね。」

 

講師部屋で、睡眠不足でクマを作った前髪立たせ女王と二人きりになったとき、
こんな言葉が聞こえた。
あまり人に干渉しない前髪女王にしては珍しい、と見直すと、
もう涼しい顔をしている。
美鈴はかねてから聞いてみたかった質問を口にした。

 

「通訳の仕事をしていて、ご主人に迷惑をかけることってあります?」

 

彼女の夫はイギリス人である。

前髪女王は、迷惑?と言うことばを初めて聞いたかのように、
しばらく考えていたが、

 

「勉強するときは私の部屋にこもってやるから、彼には関係ないけど、
 そういえば、急な仕事が入って準備がタイトだったとき、
 単語を覚えるのが間に合わなくて、単語リストをトイレのドアの裏側や、
 キッチンにまでべたべた張りまくったことがあったわ。
 その時は、ちょっと迷惑そうな目で見られたけど。
 だって、インテリアを台無しにしちゃうじゃない?

 あとは・・・そうねえ。
 仕事時間がマチマチで終わりが読みにくいから、
 一緒の休みが取りにくいって、こぼしてたかしら。
 でも、この前の夏の休暇はグランドカナリーで過ごしたの。
 それはもう、パラダイスだったわよ。」

 

そこから彼女の休暇の話が延々と続き、
ついでに夫ののろけもたっぷり聞かされた。

 

「山本ニューさんは、ちかぢか結婚のご予定でもおありなの?」

 

いえ、あの・・・
そう言う具体的な話じゃなくて、その・・・。

 

美鈴が口ごもっていると、前髪女王はその分を自分の想像で補ったらしく、

 

「あなたはドジでお仕事も半人前だけど、可愛いところがあるわ。
 なんだか構いたくなるというか…。
 そういうのに、日本の男性は弱いじゃない? 
 うちの夫は自立したプロ意識のある女性が好きだっていうけど、
 そんなこと言ってくれた日本の男性はほとんどいなかったもの。
 でも、いくらお仕事ができてもギスギスして、
 女を捨ててるんじゃ終わりよ。」

 

ここで、ちらっと今不在の講師席を見やった。

 

「あなたはそんなことにならないようにね。
 あ、お仕事はもっともっと頑張った方がよろしいけど・・・。」

 

前髪女王はニッと口角をあげた、雑誌モデルのような笑い方をして、
くるりと自分の書類に戻って行った。

ぽかんと取り残された美鈴は、田山の家のトイレや茶の間に
単語リストを張りまくった状態を想像したが、
それほど問題はないような気がした。

 

寝室にさえ張らなければ・・・。

はっ!何を想像してるの?

 

田山の寝室は見たことがなかった。
この状態では、見ることになるのかどうかもわからない。

 

会いたいな。
会って、この前の続きをしたい。

 

すでに夢では、何度も続きを妄想してしまっていたのだが、
夢の中でさえ、いいところになると
「まこっちゃ~~ん」と大声で邪魔が入ったり、
がさがさがさ・・・と黒い何ものかが這いのぼってくる夢を見て、うなされた。

うう、トラウマになりそうだわ。

 

5 Comments

  1. ロン夫人がいたんですねぇ~。
    腹部の豊満さを想像してしまって、今、ぞっとしているところです。
    あの別れ方だったら、美鈴さんから連絡を取ってあげないといけないかもしれない・・・・。
    けどその時は、しっかりと田山さん(虫付き)との将来を考えていなければいけないですね。
    田山さんは真剣みたいだから。
    田山さんの不気味さは何なのか!
    それを私は知りたーーーーーーーーーい。

  2. Annaさん、UPありがとうです^^
    あれから何日過ぎたのかな・・・
    美鈴さんは“ぞわぞわ”の記憶を振り払うようにお仕事に没頭して、少しは冷静になれたみたいですね。
    >会いたいな。
    >会って、この前の続きをしたい。
    よしよし!いい傾向ですね^^
    一時は恋心まで萎えちゃったかと心配したけど、よかったε~(´∀`*)
    田山さんの方は大丈夫かな・・・
    美鈴さんからの連絡、待ってるだろうなぁ・・・
    もうすぐ連絡行くと思うから、元気出して待っててね~(TTT_TTT)
    Annaさん、次は田山さんの様子教えてくださいね・・・ちょっち心配です。。。

  3. Annaさん、こんばんは~^^
    あれから美鈴さんは仕事に没頭して、
    ちょっとの間 田山さんを頭の中から締め出していたのね~!
    それにしても、通訳者のお仕事って凄まじい忙しさ!
    下読みの量も半端じゃないでしょうし・・・
    美鈴さんを尊敬します!
    でも離れた時間が、ゾワゾワをちょっと忘れさせてくれたかな?
    単語の貼り付けから派生して田山さんに行き着く・・・
    ウンウン、恋心を思い出してくれたみたいですね^^v
    離れてみるとイヤな事を忘れて良い点ばかり思い出す・・
    でしょ? 
    田山さんはきっと一日千秋の想いで彼女の電話を待っていると
    思うけど・・どうしていらっしゃるかしら?
    私も心配^^♪

  4. う~~美鈴も可哀想だけど…田山さんも可哀想…!
    きっと携帯をじ~~っと見つめてるんだろうな…。
    美鈴ちゃん 連絡してあげてね…!
    でも…じつは私も虫の中で かまきりが一番苦手!
    先日も車庫入れしようとして道路にじ~~っと鎮座しているので どかして!と言われて 内心ぎゃぁ~と叫びました!
    ほうきでそろそろ移動していただきましたが…
    田山さんの側にいたいけど…ロン夫人がいつも側にいたら…
    私も悩みそうです~~。

  5. きゃあん、皆様、お返事が遅くなってすみませぬ。
    ★キーナさん、
    >腹部の豊満さを想像してしまって
    そうですか、申し訳ないですわぁ。
    この時期のメスカマキリのお腹ったら、もうぶりぶり・・・
    あ、イケナイ!
    >しっかりと田山さん(虫付き)との将来を考えていなければいけないですね
    イケメンで教養にあふれてて、なおかつ
    すっごく優しくて・・・でもちょっと不気味な、
    虫食いじゃなく、虫付きの色男って、う~~ん。
    ★ちのっちちゃん
    まだまだ読んで下さってるようでありがとう!
    優しいコメント、うれしいです。
    >>会って、この前の続きをしたい。
    うふふ、美鈴もいちおう「オトナ」なので(笑)
    それにしても邪魔の多い家だけど。
    hiroさん、
    >通訳者のお仕事って凄まじい忙しさ!
    瞬発力を問われる仕事ですね。
    いったん口から出しちゃうと取り消せないので、
    恥をかかないためにも下準備に時間がかかる。
    でも、けっこうヤマ張ったりもするみたいですよ~!
    ★ruriさん、
    きゃ~ん、レスありがとうですぅ。
    >虫の中で かまきりが一番苦手!
    ほほう。あれはどうもねえ。
    >車庫入れしようとして道路にじ~~っと鎮座しているので 
    それは災難。言葉が通じませんからね。
    猫にもじっと座り込む奴がいますけど。
    >ほうきでそろそろ移動していただきましたが
    まあ、優しい!
    ばばっと飛んでこなくて良かったです。
    みなさま、ご心配ありがとうです。
    あと、もうすこうし・・・。

Leave a Reply

Your email address will not be published.


*