32キリギリスの誓い

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「陽が落ちるとかなり冷えるようになりましたからね。
 早く家に入りましょう」


田山は庭木戸の鍵を開けると、美鈴を中に押し込んだ。

敷地の番人のごとく立たずむ銀杏は、ここ数日で一気に葉を落とし、
あらわな骨組みをさらしつつある。

先日、思いに駆られて駅からここを目指したときも、
美鈴はやっぱり道に迷ってしまい、
暗い中、ぐるぐる歩き回った末、
この銀杏の金色を目印にようやくたどり着けたのだ。

葉っぱが落ちて木だけになっても、遠くから見つけられるだろうか。

空はかすかに暮れ残って群青、地平ちかくのオレンジを背景に、
家々やビルが黒いシルエットとなって、浮かびつつある。
いちばん星は急に輝きを増してきた。


「ごめんなさい。きれいな夕空だな、と思って」


田山の手に背中を押されながら、稲荷社の横を通るとき、
両手を合わせて小さく頭を下げた。


お邪魔いたします。


小さな赤い幟が答えるように、わずかに揺らめく。
足元の野菊や繁みまでもが見上げて、
二人を迎えてくれているような気がする。

玄関の鍵を開けようと田山が先へ進み、あとへ続いた美鈴に


ばしゃっ・・・

う、つめた!


楓の枝に頭を引っかけてしまい、冷たい夜露が降り注いできた。
はずみで木全体がしゃらしゃらしゃら、と笑うように揺れる。

美鈴が首をすくめて、ハンカチを探っていると、
大丈夫ですか、と、田山がそばに戻ってきた。


「この枝ははらわないとダメだな。
 こう何度も大事なお客を濡らすなら、
 ばっさり落としてしまうしかない。」


美鈴の肩先を払いながら、ややきびしい口調で田山が言うと
楓の木はし~んと静まり、さや、とも鳴らなくなった。

美鈴はなんとなく気の毒になって、楓の木を振り返りながら、
玄関の扉を開けて手招きする田山のほうへ歩いて行った。

 

 

 

「まだちゃんと準備が終わっていないんですが」


案内してくれた台所には、切りかけの白菜とプラスティック定規が置いてある。


「あのう、この定規はなんのために?」

「あ、いや。」


田山は照れくさそうに頭をかくと、


「ふだんおばさんたちの料理に頼っているものだから、
 下ごしらえからやったことが、あまりないんです。

 で、作り方を聞いたら、白菜は3センチ幅、
 ネギは4センチの長さと言うことだったので、
 ここは正確なほうがいいかと思って・・・」


きっかり4センチに切られたネギをつまみながら、
美鈴が思わずぷっと吹き出すと、田山も釣り込まれて笑いながら、


「変でしょうか?
 最初は基本通りにやった方がいいと思ったんですが」


変じゃないです。でも


「真さんはマジメですねえ。」

「いや、だから自信がなかったから。
 あ、美鈴さん、素材に触るときは、
 先に手を洗ってからにしてください。」

「はい」


美鈴はうす手のコートを脱いで、ブラウスの袖をまくり、
手を洗って、田山の隣に立った。


「さあ、何をお手伝いしましょう?」


田山は迷ったようにあたりを見回していたが、


「では、みず菜は6センチ、ということでしたので、お願いします。」

「かしこまりました。」


美鈴が軽く頭を下げて、さく、さく、と包丁を使いだすと、
感心したように田山が見ている。


「美鈴さんはお料理が上手なんですねえ。」


そんな・・・

「あのおばさんたちが見たら、ぜんぜん反対のことを言うでしょう。
 この娘は料理が苦手なんだねって。
 好きなんですが、あんまり手早くないんです。
 いつもは、ひとり分を簡単に作るだけだし・・・」


じっと見つめている田山の視線が気になり、


「あの・・・切るのはわたしがやりますから、真さんは他の準備を」


美鈴の言葉をきっかけに、田山がテーブルに鍋の用意を並べた。

牡蠣がきれいに洗って、ガラスのボウルに入れてあり、
別の入れ物には茶色い液体が沈んでいる。


「これは何でしょう?」


切った野菜を運びながら、美鈴が訊くと


「合わせ味噌です。さっき味噌と砂糖を合わせて、ざるでこしました。
 そうしろ、と言われたので」

「どのおばさんに聞いたんですか?」

「牡蠣を買った『吉池』の魚売り場の人です。
 広島のご出身だそうで、土手鍋の作り方を
 ていねいに1から教えてくれました。」

「へえ。そうなんですか。」

「おばさんたちに聞けば教えてはくれるでしょうが、
 そのうち、まどろっこしくなって、材料持って押しかけてくるのは確実ですし、
 かねてから一度、ぜんぶ自分で作ってみたいと思っていたんです。
 
 こんな形でつき合わせてしまって、すみません。」


いえいえ。すごく楽しいです。


「わたしも土手鍋作ったことないから、うれしいわ。
 一緒に作りましょう。」

「ありがとう。では」


田山は味噌入れを取り上げると、中の液体を
スプーンで土鍋の内側へていねいに塗りつけ始めた。
きっかり幅5センチくらいに。

見ている美鈴も気合が入って、つい近くに寄ってしまう。


「はあ、むずかしいものですねえ。」


茶色の味噌にまみれたスプーンを片手に微笑みかける田山は、
しびれるほど魅力的だ。
チョコレート色のエプロン姿も、なかなか似合っている。

もっとも何を着ても、いえ着なくても、コホン、魅力的なのだが。

あらかじめ用意してあった昆布出しを鍋にそそぎ、
火にかけると、野菜やきのこ、豆腐を入れていく。
あとはあったまるのを待って、牡蠣を入れれば出来上がり。

鍋がじじじ、と言う音からくつくつ、と煮え始め、
ぐつぐつ泡が立って野菜の色が濃くなると、
ぷっくり太った牡蠣をそっと入れる。

湯気が立って、部屋中に味噌の香ばしい匂いが漂い、
田山の出してきた日本酒を少しずつ舐めながら、
二人で何度も鍋をのぞいては、
まだ?いやもう少し、とけん制し合う。


「どう?」


何度目かの期待をこめた視線に、
田山がおもむろに鍋をつついて、ネギの煮え具合を見る。

真剣な表情にまたも吹き出しそうになるのだが、
ここで笑ってはいけない。


「もう・・・いいでしょう。」


おもむろに「完成宣言」を告げると、美鈴のれんげを取り上げ、
野菜と、ちりっと縮んだ牡蠣をよそう。


「どうぞ。」

「はい、いただきます!ああ、おいしそう・・・待ちきれなかった」

「美鈴さんは子供みたいだね。」


自分だって、ずっとそわそわしていたくせに、そんなことを言う。
味噌あじの出しを吸った牡蠣を、ふたり同時に口に入れると


「おいしい!
 わたし、実は土手鍋って食べたことなかったんです。」

「これは、うまいですねえ。
 こんなに上手にできると思わなかった。すごいな。」


はふはふと熱い牡蠣をほおばると、海の滋味がじゅわっと沁みだす。


「う~ん、最高!
 真さん、ほんと、お料理じょうず!」

「いや、そこまで言われると・・・」


湯気のせいか、ほめ言葉のせいか、田山の顔もほんの少し上気している。


「ここでお鍋を食べることは、あまりないのですか?」

「寒い間に何度か、ここで鍋をやりますよ。
 おばさんたちやご亭主もたまについてきたり、
 小糸や鉄五郎が来ることもあります。

 鍋はひとりでは食べられませんから。」

「そうですね。本当に。」

「むかし、母が倒れたばかりの頃は、おばさんたちのご亭主も、
 ちょいちょい顔を出して、差し入れをしてくれたんですが、
 おばさんのひとりが誤解して、すごい喧嘩になりましてね。」

「ふんふん」


あんな美人のお母さん宅に入りびたり、となれば、
奥さん連中が気の揉めるのも無理はない。


「それ以来、女の病人宅に男が出入りするのも、と、
 ご亭主たちだけでは来ないことにしたようです。
 僕が大きくなってから知ったことですが、当時は不思議でした。」

「どうして?」

「ふらりとやってきては、僕の頭をさりっと撫でてくれていたおじさんたちが
 急に来なくなってしまったからね。
 模型を作るのを手伝ってくれたり、
 来てくれるのを、楽しみにしていたおじさんもいたから。」

「そうですか。」


少し空気がしんみりした。

自分の父親とはそうそう会えないのだから、
おじさんたちの訪れは楽しみでもあったのだろう。

この人は、ずいぶんさびしい思いをしたのだろうな。

美鈴がちょっぴり涙ぐみそうになっているのを、
田山が横目に見て、


「美鈴さんは、ずっといてくれますよね。」

「え?あ、はい。」


あなたが望んでくれる限り、そばにいたいです。

望んでくれなくなっても、やっぱり
そばにいたいかも知れませんが・・・。


口に出さず、胸の中だけでつぶやくと田山のほうを見た。
じっと美鈴を見つめてくる瞳が、もう金色にけぶっている。


「真さんと一緒にいられるのが、うれしいです。」


それだけを告げると、また鍋に牡蠣を入れて様子を見るふりをした。

田山も何か言おうとしたようだが、代わりに水菜とセリを足している。


今はこれでいい。
こんな風に湯気の向こうにお互いの顔が見えればいい。
これ以上は、何もいらない。


ふと頭の横に視線を感じ、そっと見上げると鴨居にやっぱりいた。

うす茶色のカマキリ、ヤン夫人が、じいっとこちらを見ながら、
ぐりぐりと頭を動かしている。

以前見たときより、お腹がしぼんで迫力が低下した。
無事に出産を終えられたのだろうか。

田山に視線を戻すと、もちろんヤン夫人の存在を知っていたようで、
かすかに微笑んでいる。


「美鈴さんが、ヤン夫人に慣れてくれたみたいで
 うれしいです。」


そう言った矢先、ヤン夫人が急にすすっと移動して、
パッと何かに飛びかかった。
捕まえたところを見ると、緑色の小さなバッタらしい。
すでに頭が取れかかっている。

ハンターは、つよい前足で獲物をしっかり押さえこむと、
意気揚々と部屋の外に出て行った。

美鈴は口をあんぐり開けて田山を見たが、
田山の表情にまったく驚きはなかった。

むしろ、微笑ましい、と言った顔で


「彼女も夕食の時間かな。」

「はあ。」


う~ん、やっぱりまだ、ちょっと慣れないかな。

 

 

 

6 Comments

  1. こんな時間に読んでしまって、美味しそうすぎるこの土手鍋♪
    ついつい一緒に食べている気分になってしまったわ。
    庭の木々といい、ヤン夫人といい、やっぱり妖しい。
    >「美鈴さんは、ずっといてくれますよね。」
    なんて田山さんに言われると、何かあるのお?!秘密があるのお?!
    って疑ってしまいます。
    田山さんは、相変わらず神秘的*^^*

  2. 前回のコメ入れなくちゃ、と思ってるうちに過ぎちゃってごめんなさい(-_-;)
    玄関脇の楓はきっとメスの樹だな・・・(オスメスあるかどうか知らないけど)
    ほんとに払われちゃうのかな?ビビって固まってるけど。
    でも、楓って毎年よく伸びるよね。
    うちも毎年結構ばっさり選定してもらうけど、夏にはぼうぼうになるもんね。
    そしてふたりでお鍋・・・楽しそうです^^
    定規で測って野菜切ってる田山さん・・なんかかわゆいですね(*^_^*)
    美鈴さんはだいぶ慣れてきたようですが、私はまだ全然だめです。
    もし、自分の部屋にヤン夫人が・・・と考えただけで震えがきます・・・。
    やっぱり私は田山さんとは一緒にいられません・・・
    って、誰も頼んでないって(;一_一)

  3. 土鍋か~。
    あったまりますよねぇ~、いいなぁ~。
    今週末また寒くなるっていいますから、土鍋にすっかんなぁ~。
    さすが、ヤン夫人たちに情はわきつつはありますが、
    同じ部屋はだめですね。
    落ち着きません。
    だって、いつ、パサパサ、バサバサ、ソロソロソロ・・・。
    オーこわ、ぞっとします。
    二人で鍋を囲むって、エヘッいいですね。
    でもまだまだ遠慮があるみたいです。
    ただ、おいしいねぇ~だけじゃ、色気も何にもあったもんんじゃない。
    真さん、もっとせまらなきゃ。
    頑張れ!真。

  4. 切ると言われて静まり返る楓・・
    鴨居から見つめるヤン夫人・・・
    やっぱりちょっと妖しい家だわ。。^^;
    でも恋する美鈴ちゃんは乗り越えられそうですね~
    真さんの寂しかった幼少時代やこれまでを知って
    ずっと傍にいたいと思うようになるなんて、健気。
    2人で囲む土鍋がいっそうお互いを近づけて
    うーん、イイ感じだわ!
    うちも真さんと同じ日がお鍋だったから
    ふんふん ご一緒^^と喜びながらも、
    もれなくヤン夫人がくっついてくるとなると、、、
      パスです。。。

  5. あんなさ~ん!!!
    投票してきました~♪
    >先に手を洗ってからにしてください
    なんか学者っぽくて萌え~❤
    その前も洗ってそうですねえ(〃∇〃)

  6. こんばんは~!
    バレンタインデーなのに、甘いお話のひとつもアップできなくてすみません。
    頭の中にはあっても、アウトプットする時間がなくて・・・。
    仕方ないから、甘い気分に浸るためにチョコでも食べよっと♪
    ★れいもんちゃん、
    食い物の描写が多いと言われる私。
    それはもちろん、わたしが食いしん坊だからです。
    「こう寒いと鍋でも・・」という気分。
    湯気の向こうにイケメンが欲しい!
    >庭の木々といい、ヤン夫人といい、やっぱり妖しい。
    ですね(笑)まあ、妖しいんですが、
    そのまま、すす~っと受け入れてくださいませ。
    ★ちのっちちゃ~ん、
    >玄関脇の楓はきっとメスの樹だな・・・
    ですね、きっと。
    わたしも楓の雌雄は知らないですけど。
    この楓、嫉妬からか、おちょってるのか、美鈴にいろいろ仕掛けちゃってるし、
    な~んて、単なる偶然かもしれないけど。
    >毎年結構ばっさり選定してもらうけど、夏にはぼうぼうになるもんね
    そう!
    その上、以外と虫が付くの。
    気づくと葉っぱが半分近く無くなってたりして。
    >もし、自分の部屋にヤン夫人が・・・と考えただけで震えがきます・・・。
    やっぱり私は田山さんとは一緒にいられません・・・
    「ふられた」(by 田山)
    いくらイケメンでも虫食い、じゃない、虫付き、じゃあねえ。
    ★キーナさん♪ありがと~!ん
    「鍋」という響きが、特別あったかく感じますねえ。
    >だって、いつ、パサパサ、バサバサ、ソロソロソロ・・・
    そ。
    鴨居の端に、太った虫のお腹がが揺れてるんじゃあ、
    落ち着きません。
    その上、捕食っとばかり。さらに小さい虫を丸かじりじゃあな。
    ああ、読者を減らしているなあ。
    >おいしいねぇ~だけじゃ、色気も何にもあったもんんじゃない
    腹が減っては戦ができぬ(by 田山)
    ここから頑張ります(?)
    ★hiro305さん
    >切ると言われて静まり返る楓・・
    だってぇ、大家さんに怒られちゃったんだもん(by かえで)
    >鴨居から見つめるヤン夫人・・・
    うちに住んでる人間の面倒も見てやらなくちゃ。
    (by ヤン夫人)
    >もれなくヤン夫人がくっついてくるとなると、、、
      パスです。。。
    また振られた(by 田山)
    田山さん、人気ないんですねえ。
    ★お、ボン、きゅっ、ぼわん、のrzちゃん、
    お元気かしら?
    >投票してきました~♪
    ありがとうございま~~す!
    皆様の応援のおかげで、あんなところにおりますです。
    >なんか学者っぽくて萌え~❤
    その前も洗ってそうですねえ(〃∇〃)
    うふふ、その前ってどの前かしら?ほほほ・・・

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