03 春のきざし 3

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「ただいま!遅くなってご・・」

 

引き戸を開けたとたん、玄関に父が立っていた。

 びっくりして一瞬、言葉を失っていると、

 

バシッ!

 

いきなり頬を張られ、はずみでガターンと体が戸にぶつかり、

恵子は濡れた三和土に尻餅をついた。

 

 「こんな時間まで、何をフラフラしとった!

 お前がこのところ、ずっと遅く帰っているのを、

 知らんとでも思っていたのか。」

 

 理不尽な仕置きに、かっと頭に血がのぼった。

 

 「遊んできたわけじゃないわ!

 明後日までの締め切りのレポートを仕上げてて、

 図書館にいたら雪が降って来て・・・」

 

 「口答えは許さん!

 こんな天気の日に、大学に残る方がおかしい。

 電車やバスがまともに走らんことくらい、頭が働かんのか!

 お前は何を勉強してる」

 

 「資料が図書館にしかないから、仕方ないのよ。

 どうしても・・・」

 

 「駅から電話してきてからだって、1時間以上経ってる!

 いったい何をしてたんだ。

 おかあさんが、ずいぶん心配してたから、

 わしが外へ見に行ったら、お前がどこぞの・・・」

 

 父はその先を続けずに、ぎょろりと目を剥いて恵子をにらみつけた。

 恵子は唇をかみしめた。

 

お父さんが迎えにきた、というの?

もしかして、速水と一緒にいたのを誤解しているの?

 

 「違うわ!

 サークルの先輩が心配して、わざわざここまで送ってきてくださったのよ。

 うっかりバス停をひとつ、乗り過ごしちゃったし」

 

 「サークルだと?

 まだそんな遊びにかかずらわってたのか。

 即刻辞めろ!ゆるさん!」

 

 「だからサークルをやってたんじゃなくて、」

 

 「もういい!言い訳するなと言ったろう。

 とんでもない奴だ、お前は。家に上がるな!」

 

 恵子の中で何かがぷちん、と音を立てて切れた。

 

 「わかりました。出て行きます!」

 

 三和土でくるりと回れ右をすると、ガラッと思い切り戸を引き開け、

雪夜へ飛び出した。

 

 

 ずんずんと威勢良く歩いたのは、ほんの5メートルほどで、

勢いをつけすぎて、思いっきり転んでしまった。

 

 痛っ!

 

 コートのお尻にべっとりと濡れた雪が付き、

手をついて起き上がったせいで、両手も雪まみれになった。

 

悔しくて涙がこぼれたが、ひるまずに起き上がり、

家から遠い方へとずんずん歩く。

 

どこへ行こうか、考えなど何もなかったが、

反対側のバス停に行き、とにかく駅にもどってやろうと思った。

 

そうだ、中州のライブハウスに行こう。

 こんな雪の日にもやってるだろうか。

何時までやっているモノなんだろう。

 

 よ〜し、いいチャンスだわ!

 

カッカしながら、進んでいけたのも、バス停までだった。

 駅へ行くバスはついさっき、最終が出たあとだったのだ。

 

 

 

 がっくり気落ちして、しばらく雪の中で、

無人のバス停にたたずんでいたが、

ふと見回すと、足下にごく新しい足跡が残っているのに気づいた。

 

足跡は、自分のと重なるように、恵子の家から続いていて、

黒く湿った足跡にもすでにうっすらと雪はつもり始めている。

 

 速水のものだ・・。

 

 BFでも何でもないのに、親切心でここまで送ってきてくれて、

やっとさっき駅へのバスに乗ったに違いない。

 

 父は、自分と速水が手をつないで歩いていたのを見たのだろうか。

 速水は、父の罵声を聞いてしまったろうか。

もし、そうなら、何と思ったろう?

 

せっかく送って来たのに、一方的に罵られ、

玄関で大きな音をさせたのを聞いていたら・・・・。

 

 父は異常だ。

 帰りが遅くなっただけで、犯罪者のような扱い。

理由も状況の説明も、聞く耳を持たない。

 

こんな家、出て行ってしまおう・・・。

早く出て行きたい。

父のそばになんかいたくない。

 

恵子は自分がぼろぼろと、涙をこぼしているのに気がついた。

 

涙って確かに熱い。

顔についた雪を溶かしてしまうんだ。

 

こんな郊外で、雪が降りしきってて、あたりにはだあれもいない。

思いっきり泣いたって、鼻水が出たって、誰にも見られっこない。

 

さっきまで、速水と二人きりで雪の中にいたと思ったら、

今度は一人ぼっちだ。

 

 恵子はとぼとぼと駅の方へと進み始めた。

 バスで15分の距離を、雪の中、歩いて行くとどの位かかるものなのだろう。

1時間くらいだろうか、もっとかな。

 

ずいぶん長い時間、何も食べてない。

 

 ふとポケットに手を入れると缶コーヒーが一本残っていた。

最初に速水が買ってくれた方だ。

 

ポケットの中のぬくもりで、冷えきってはいない。

 

近くのガレージの軒先を借りて雪を避け、プルトップを開けると、ひとくち流し込む。

 

甘みがじわっと体中に行き渡るのを感じた。

 

 「お〜〜い!お〜〜い!」

 

 誰かが後ろから走ってくる。

誰に向かって呼びかけているんだろう。

 

 「お〜〜い!姉貴〜!」

 

 雪が音を吸い込んで、聞き取りにくかったが、

よく耳を澄ませると確かに弟の律の声だった。

 

 「姉貴!どこへ行くんだよ。

 こんな雪降ってる夜中、どこへも行けないぞ。」

 

 「おとうさん、あんまりよ。

 家にいたくないの。駅まで歩いてく。」

 

 「ばっか!無理だって。

 お母さんが心配してるよ。

 今日は帰ろう・・・。

 家出はもっと別の時にしたほうがいい。」

 

 「いやよ、帰らないわ。」

 

 律が恵子の前に立ちふさがった。

 高校でぐんと背が伸びてから、恵子より顔の位置がはるかに高くなったが、

中身は一向に変わっていない。

 自分と違って要領がよく、あまり他人ともめないタイプだ。

 

 「姉貴、レポート提出のために頑張ってたんだろ?

 それってあさって期限じゃなかったっけ?

 ここまで頑張ったのに、家出してレポートふいにするのって、どうかな。」

 

 さりげなく律は恵子から視線を外した。

 

 「一緒にやってた他のメンバーにも、

 迷惑かけちゃうんじゃないかなあ。

 それでもって言うなら、仕方ないけどさ・・」

 

 恵子は、律の横顔を思い切りにらみつけた。

 こいつはいつもこうだ。

わたしの一番弱いところを、さりげなく突いてくる。

 

恵子の視線など痛くもかゆくもなさそうに、

律がくるりとこちらを向いて、にやりとした。

 

 「で、どうする?姉貴・・・」

 

 

 

 

翌日はみごとな晴れだった。

 朝のうちこそ、あちこち雪が融け残っていたものの、

午後からの日差しに照らされて、あらかた姿を消し、

日陰や斜面の端っこにわずかに白く残っている。

 

今日は授業が終わっても図書館に行かずに、空き教室を探し、

共同研究の最後のすりあわせをした。

 

3時間近くかかって、ようやくまとめあげると、

4人とも心からほっとした。

 

 「これで何とかなりそうだね。」

 「うん、そうだね。」

 「参考資料の数、すごいよ。

 でもこれ、ほとんど恵子が調べたんだ。

 質問されると参っちゃうな。」

 「みんなそれぞれ、自分の持ち分を果たしたんだからいいんじゃない。」

 

 終わった気軽さで、きゃらきゃらと笑い声をあげると、

ようやく席を立った。

 

 帰ろう・・・、うん、帰ろう。

 

 4人で連れ立って、夕映えの中、キャンパスを後にする。

 

 「ねえ、向こうに着いたら、ケーキ食べに行かない?」

 「行く行く!あたし、すっごくおいしいとこ見つけたんだ!」

 「ね、どこ?それ、アタシの知ってるとこかな。」

 

 ひとしきりしゃべり合って、ふと直美が恵子に話しかけた。

 

 「ねえ、この間のひと、恵子の彼氏?」

 「ううん。単なる先輩。」

 

 ふうん。そうなの・・・。

 

 直美はしばらく思い出すようにしていたが、

 

 「でも、背が高くてカッコいい人だったね。いい感じじゃない?」

 「バンド組んでるみたい。ベース弾いてるんだって。」

 「へえ!ほんと、ますますカッコいい!

 恵子、あの人いいよ、つき合っちゃいなよ。」

 「そんなんじゃないのよ。

 たまたま一緒に帰って、あそこまで歩いてっただけだから・・」

 

 ふうん・・・。

 

 直美の表情は少し疑いを含んでいたが屈託がなかった。

 

 「ま、別にいいけど・・さ。」

 

 にこりと笑って、また友だちとの会話にもどった。

 恵子はほっとした。直美は何も知らないらしい。

直美が一緒にいた男が、3週間前、誰とつき合っていたのか。

 

 

 『お前、一緒にいても帰ることばっか考えてるみたいだな。』

 

 『そうじゃないのよ。家がうるさいから・・』

 

 『どこへ行こうって言ってもダメ。

 俺の部屋に来るのも嫌。

 じゃあ、いったいどうすればいいんだ?

 どこでお前と会えばいいんだ?』

 

『ごめんなさい。』

 

『高校の時から好きだった奴と、やっとつき合えるようになったのに、

 なんだかいつも落ち着かない。

 ちゃんとこっちを見てくれよ。』

 

『・・・』

 

『俺が好きだって言ったのは、うそか?』

 

『嘘じゃないわ。』

 

『じゃあ、いいだろ・・・?』

 

 まだ唇の感触もはっきりと覚えている。

 誘うように、そそのかすように、恵子の中に入りこんでくる舌も。

 

嫌じゃなかった。

甘くとろかすようで、

アイスクリームみたいに溶けてしまう気分に誘い込まれるのは、

ぞくぞくするほど刺激的だった。

 

 『恵子・・・好きなんだ』

 

 彼の唇が首すじに下り、さらにのど元へと降りて行く。

同時に、肌の表を這い上ってくる手も嫌ではなかったのに、

その手がお腹をたどり、さらにスカートの中へと入ろうとすると、

どうしても身をよじってしまった。

 

 『どうして?』

 

『ごめん、ダメなの・・』

 

『こんな生殺しのまま、俺をほうって置くつもりか。

 残酷なこと、するなよ。』

 

 結局は恵子が受け入れてくれると思っていたに違いない。

拒絶されても、彼の瞳にはどこか余裕が感じられた。

懲りずに手を伸ばしてくる。

 

 『ごめん、やっぱりダメだわ。』

 

 恵子が彼の手をどけ、Tシャツの裾をおろしてぎゅっと押さえつけると、

彼にも恵子の気持ちがわかったようだ。

 

 『なんでダメなんだ?』

 

『・・・・』

 

 恵子は唇をかんで、じっと黙ってうつむいていた。

彼の視線を痛いほど感じる。

ほんの一瞬、沈黙が2人をしばった。

 

恵子の何が彼を逆上させたのか、今もわからないが、

次の瞬間、彼が恵子に襲いかかり、

畳の上に両腕を開いて無理矢理に押さえ付けられた。

 

 『やめて・・・』

 

 すぐ前の自制心が失われた瞳を見ながら、

自分のせいだと恵子は悔やんだ。

 

彼のことなら、高校時代から知っていた。

こんなことをする人ではなかったはずだ。

 

半分だけ誘惑の実を食べる、というのは彼には承服できないに違いない。

 中途半端な自分の態度が、却って彼をあおってしまった。

 

 『俺はこんな風にしたかったわけじゃない・・、

 お前が・・・。』

 

 這い回る熱い唇から、乱暴な手から逃れようと体をよじる。

なんとか自分の上からふり落とそうとしたが、

ふり落とされまいとする彼が、ますます恵子の体に強くしがみついた。

 

 

 

何度ももみ合ううちに、突然、体が離れた。

 

 『わかったよ。

 お前はおれをなぶり者にしてるんだ。

 俺が好きなわけじゃないんだ。

 半分許しながら、いつも途中で拒否する。

 こんなの、メチャメチャいらつく!』

 

 彼の瞳に恵子への暗い憎しみが満ちていた。

 

その視線を反らし、すばやく服を直すと、

コートはどこだったかと見回す。

 

ドアのそばに落ちているのを拾い上げたとき、

 

 『二度と逢わない!

 声もかけるな。

 顔も見たくない!

 

 早く出てけ!』

 

ぞっとするほど冷たい言葉だった。

恵子を思い切り傷つけようと投げつけられた石だった。

 

ドアを開けて階段を下り、誰もいない居間と玄関を抜け、

がたがたと震える足に靴をひっかけて、

文字通り、逃げ出したのだ。

 

 

 

 

 

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