03 アンジェラ

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夕方の5時を過ぎて暗くなると、母と明、モニカは、

マシアスの家の『ポサダ』に出かけていった。

 

しっかり門の鍵を閉めてもらい、ホセの運転する車が遠ざかるのを見届けると、

すぐに鶏小屋へと走って行く。

 

 「アンジェラ!アンジェラ!」

 

僕が下から呼びかけると、アンジェラが上階の藁の中から、

臆病そうに小さな顔を出した。

 

 「もう誰もいないよ。降りておいで・・」

 

アンジェラはしばらくためらっていたが、

そのうち、おずおずと裸足を梯子にかけ、

鶏小屋の入り口まで出てきた。

 

並んでみると僕と同じ位の背だったが、

ずっと細くてきゃしゃだ。

 

相変わらず、白い下着一枚で寒さに震えている。

 

 「アンジェラ。ずっと鶏小屋に隠れているのはよくない。

 お風呂に入ってちゃんとご飯を食べた方がいいよ。

 今夜は、みんなポサダに出かけて夜中まで帰ってこないから。」

 

アンジェラは大きな目を見開いて僕を見ている。

 

 「だいじょうぶ。おいでよ・・・」

 

僕が手招きをすると、アンジェラは

おそるおそるという感じで鶏小屋を出てきた。

 

門扉の外はうすぐらいが、母屋の明かりが漏れて、

ぼんやりと一部が照らし出されている庭を横切り、

玄関に入る。

 

家の中に入ると、アンジェラはほっと息をつき、

それから珍しそうに辺りを見回している。

 

その様子を横目で見ながら、まっすぐに2階に上がり、

階段の途中でふり向いて目でうながすと、

アンジェラも震えながらおずおずとついてくる。

 

2階のバスルームの扉を開き、

 

 「ちょっとここで待ってて。」

 

アンジェラをバスルームの手前に残したまま中に入り、

お湯の栓をひねって浴槽を満たし始めた。

 

戸惑って固まっているアンジェラの脇を通って、

子供部屋に戻り、クローゼットを掻き回す。

 

確か、予備の服があったと思ったけど・・・。

 

 

ここに泊まる子供の服を用意するのは、母やモニカの役目だった。

女の子の服をそろえるなんて、小学生の僕には荷が勝ち過ぎている。

 

何をどうすればいいのかわからなかったが、

今の下着一枚よりは何だっていいだろう。

 

たんすの引き出しを開け、Tシャツとパーカ、ベージュのパンツ、

それからよくわからないが、適当にあった下着をつかんで、

バスルームへ戻った。

 

 「シャワーのやり方はわかるよね?」

 

アンジェラに着替えを手渡しながら、僕が確かめると、

こくんとうなずいたが、まだためらっている。

 

僕が背中を押して、バスルームに追いやると、

あきらめたように中に入った。

 

しばらくすると、中からお湯を使う音が聞こえてくる。

 

「アンジェラ・・」と呼びかけると、お湯の音が止まる。

 「僕は下で待っているから・・・。」

 

そう言いおくと、バスルームを出て階下のダイニングに行き、

母の用意してくれたスープを火にかけ、

昼のメキシコチャーハンの残りと、

サンドイッチをそれぞれ皿に入れた。

 

かなり経ってから、ほとほとと足音が聞こえ、

階段からアンジェラが降りてきた。

相変わらず裸足だ。

 

 ・・・しまった・・・

 

僕は急いで玄関から部屋履きを持ってくると、アンジェラの前に置いた。

 

「履いて・・・。」

 

藁くずもなく、風呂上がりで、

パーカとパンツ姿というラフな子供の服装になると、

アンジェラも、日本○キシコ学院の友達と変わらない雰囲気になった。

 

 

背中に長く下ろした髪は、まだ濡れて光っている。

小さな顔に大きな黒い目が、濃いまつげに縁どられてぱっちりと開き、

鼻は少し上をむいている。

 

肌はやや浅黒いが、顔立ちとしては原住民のインディヘナよりも

スペイン系の濃い、中高の顔をしていて、

目の周りの青あざがなければ驚く程の美少女だった。

 

 

僕はしばらくぽかんと見とれていたが、

スープがしゅんしゅんと煮立つ音が聞こえ、あわてて火を止める。

 

スープを盛りつけ、キッチンのテーブルに

メキシコ風サンドイッチとチャーハンの皿を置き、

 

「食べよう。僕も一緒に食べるから・・」

 

アンジェラは一言も口を利かなかったが、やがて椅子に腰をおろし、

僕が食べ始めるのを見ると、やっとスプーンを手にとった。

 

僕はアンジェラの顔を見つめたまま、熱いスープを口に運んで、

 「あちちっ!」

口の中をやけどしてしまった。

あわてて立ち上がって、水を飲む。

 

その様子を見て、アンジェラがかすかに微笑んだように思えたので、

僕も笑顔を返した。

 

やっとアンジェラがスプーンを口に運んだ。

 

一度、食べ始めると止まらなくなったようで、

スープもチャーハンもサンドイッチもきれいに空っぽになった。

 

「落ち着いた?」

 

僕が聞くと、やっと柔らかい微笑みを浮かべ、

 

「ありがとう・・・とてもおいしかった」

 

白い歯を見せた。

 

 

ご飯を食べ終わってしまうと、何を話せばいいのかわからない。

 

とりあえず、アンジェラが食べたとわからないように、

使った食器類を洗うと、アンジェラが拭くのを手伝ってくれ、

僕が棚にしまった。

 

テーブルが片づき、いよいよ困ってアンジェラの方を向くと、

アンジェラは、外の闇をじっと見つめている。

 

探るような、不安におののいてるような目つきだった。

 

「アンジェラ、上の部屋を見てみる?」

 

僕がそう声をかけると、アンジェラは大きな目を見張ってうなずき、

一緒に2階に上がった。

 

午前中、いっしょうけんめい片づけた子供部屋に案内し、

本棚や色々なおもちゃの入った箱を見せた。

 

「好きなのを見ていいよ。」

 

僕はそう言って自分用に本を一冊取り、部屋にあるソファに座って読み始めた。

 

だがもちろん集中なんかできず、目はしょっちゅう本のページから

部屋にいる女の子に戻る。

 

 

アンジェラは本棚の絵本に興味を持ったようで、

ひとつひとつていねいに取り出してページをめくり、

いちいち棚に戻した。

 

おもちゃ箱の仮面ライダーや怪獣の人形をじっと見つめたり、

箱の中のがらくたをあれこれと手に取ったりしている。

 

その中に、どこかのポサダでもらったプラスチック・ビーズの小箱があり、

それをおずおずと取り出すと、蓋を開けずに外から眺めている。

 

「それ、使っていいよ。

 僕も明も要らないんだ。去年のポサダでもらったんだと思う。」

 

アンジェラは問いかけるように僕を見ていたが、

ためらいがちに蓋を開け、中のビーズを少し触った。

 

「うちには、他に弟がいる。

 あと、父と母と、お手伝いのモニカと運転手のホセと、

 料理とか手伝ってくれるマルタおばさん。

 

 今日はたまたま居ないけど、明日からはみんな家の中に居るよ。

 君はこれからどうする?」

 

アンジェラはビーズの蓋を閉めると、

 

「わからない。

 でも、どうしてもあの家に戻りたくないの。

 もう少しだけ、ここに居てもいい?」

 

「う〜ん、結局見つかっちゃうと思うけどな・・・」

 

僕がそう言うと、アンジェラはとても怯えた目をして体を震わせた。

よほど怖い目に合ったのかもしれない。

 

 

どうしたものかと考えたが、さっきクローゼットを開けた時、

キャンプ用の寝袋があったのを思い出し、取り出して、

アンジェラに差し出した。

 

「あんまり寝心地のいいもんじゃないけど・・・。

 君が寝室に居たら明にばれちゃうし、

 明はママに黙っていられないから。

 

 とりあえず、今日はこれで眠れる?」

 

アンジェラは立ち上がって寝袋を受け取ると、

そのついでに僕の頬にキスをして、

 

「ありがとう。あなたに神さまのご加護を・・」

 

そう言って、また首元の何かをぎゅっと握った。

 

僕は不思議に思って訊いた。

 

「何を持ってるの?」

 

アンジェラがそっと手を開くと、

美しい金の十字架があった。

 

繊細なレリーフが施してあり、真ん中にきれいな赤い石がひとつ嵌っている。

 

メキシコの人がよく持っている、グアダルーハの聖母ではなかった。

 

「きれいな十字架だね。」

 

隆がそっと手を触れると、アンジェラがうれしそうに微笑んだ。

 

「きっと神さまが守って下さる。

 わたしも・・助けてくれたあなたも・・・。」

 

アンジェラの黒い瞳にじっと見られると、

背中がすくむような気がして、

むず痒いような、いたたまれないような、

不思議な感覚が背骨のあたりから上がってくる。

 

「僕にできることなら、何でもするよ。」

 

思わず言ってしまい、アンジェラに満面の笑顔を向けられて、

ますます背中のむず痒さがひどくなった。

 

 

 

 

アンジェラには子供部屋のソファの陰で寝てもらうことにした。

ここなら母やモニカが不意に入ってきても、すぐには見つからない。

 

明のお気に入りの場所なのが、問題と言えば問題だったが、

この際そんなことを言っていられない。

 

これからクリスマスまでの何日間、ポサダが続くし、

クリスマス当日は、かなり忙しいはずだから、

当分、子供部屋の掃除に来る余裕はないはずだ。

 

2階にはバスルームもあるし、食事の問題さえうまくやれば、

しばらくなら匿うことができるのではないか。

 

 

 

 

 

翌日は学校へ行く日だった。

 

朝食を食べていても、アンジェラがお腹を空かせているんじゃないかと考えると

気が気ではなかったが、仕方がない。

 

一番最後まで朝食のテーブルに残っておいて、

母が部屋を出て行った隙に、残っていたパンとバナナをつかみ、

スウェットシャツのお腹に隠して、2階に上がっていった。

 

「アンジェラ・・・」

 

僕は子供部屋のソファの後ろを真っ先にのぞいたが、

アンジェラの姿がない。

 

押し殺したような声で、アンジェラ、アンジェラ・・と呼ぶと、

僕の机の下から、大きな目がひょっこりのぞいた。

足音を聞いて、机の奥に隠れていたらしい。

 

 ああ・・・

 

僕は安心したが、ゆっくりしているヒマはない。

 

「アンジェラ。朝ごはんを持って来た。

 これじゃ、お腹がいっぱいにならないかもしれないけど、

 またあとで持って来るから・・・」

 

アンジェラの手に、パンとバナナを押し付けると、

アンジェラは食べ物を見、それからこぼれそうな目で僕を見ると、

 

「ありがとう・・・」

 

また頬にキスをしてくれた。

 

ただのお礼のキスだとわかっているのに、

なぜか、かあっと頬が熱くなり、

アンジェラにお返しのキスもしないで、

「学校に行って来る」と言いおくと、

置いてあった鞄を取って、階下に走り下りて行った。

 

 

 

 

 

日本メキシコ学院は、7年ほど前、メキシコの日本人学校が

現地のメキシコ人の子供を受け入れ、

日本人、メキシコ人の子供が共に学ぶ場を作ろうと開校されたものだ。

 

日本コースの生徒は、スクールバスで通うが、

僕と明は短期間だけの入学なので、

ホセの運転手で学院まで送ってもらう。

 

 

学校に着くとマシアスに会った。

 

「よう、隆!昨夜はうちのポサダに来なかったね。」

 

「ちょっと風邪気味だったんだ。残念だよ。」

 

「僕のピニャタは特製だったのにな。

 今夜はミゲルのうちだぞ。

 チョコレートが沢山入ってるって、自慢してた。」

 

「ああ・・・」

 

マシアスとは、1年に一度しか会えないが、

父がメキシコシティで教えている空手教室にも通って来ているので、

いい友だちになっていた。

 

マシアスと僕の父は、仕事上のつながりもあるらしい。

 

「またおもちゃを見に行ってもいいか?」

 

「いいよ。おいでよ・・・」

 

「ありがとう!」

 

マシアスは手をふって、メキシココースの校舎へ駆けて行った。

 

 

僕は学校にいる間中、落ち着かなかった。

 

子供部屋に隠れているアンジェラが、見つかっていないか。

あれしきの食べ物では足りなかったのではないか。

 

どうして、あんな鶏小屋なんかに隠れていたんだろう・・・。

学校には行っていないのか。

 

次々と疑問がわいてきたが、解決されるはずもない。

 

授業中に指されて、2度も間違えたが、

先生はメキシコに来たばかりで疲れているのだろうと、

なぐさめてくれた。

 

いつもなら、ここの生徒たちがわからない問題だって、

解いてみせるのに・・・。

 

 

 

 

やっと学校から帰ると、すぐに子供部屋に上がって行く。

 

「もうじき、お昼ごはんですよ」というモニカの声を背中で聞いた。

 

かばんを机に置き、学院の制服を掛けると、あたりを見回す。

ソファの後ろを真っ先に見たがいない。

 

机の下にもいない。

 

部屋から出たのかな・・・?

 

と思って見回していると、おもちゃのおいてある戸棚の脇から、

小さな顔が面白そうに微笑んでいるのが見つかった。

 

「アンジェラ・・・」

 

そこにいたのか。

 

「タカシ・・・・。お帰りなさい。学校は楽しかった?」

 

アンジェラは僕が出したままの服を着て、

髪を後ろで編んで束ねている。

 

「楽しかったけど、アンジェラのことが気になった。

 何をしてたの?」

 

「ん・・・・これ。」

 

アンジェラがおずおずと背中から手を出すと

プラスチックビーズの箱と、作りかけのビーズの輪があった。

 

「誰も入って来なかった?」

 

僕はひそひそ声で訊いた。

 

アンジェラは、笑顔のまま首を振った。

 

 「誰も。みんな忙しいみたいだった。」

 

 クリスマス前の一週間は、どこの家も目の回るような忙しさだ。

 子供部屋をのぞきに来るヒマなんか、あるはずがない。

 

「隆ちゃ〜ん。お昼の用意が出来ましたよ。」

 

階下からモニカの呼ぶ声が聞こえる。

 

「は〜い!」

 

返事をしてから、アンジェラにふり向くと

 

「また何か持って来るからね・・・」

 

笑いかけると、すぐに階下に下りて行った。

 

 

 

 

 

メキシコでは、昼ご飯のボリュームが一番多い。

2時頃から2時間くらいをかけて、たっぷり食べる。

 

もっともそれまでにお腹が空いてしまうので、

11時頃、軽いおやつを食べることもある。

これは学校でも同じだった。

 

時には父が家に帰って来て、一緒に昼ご飯を食べる時もあった。

 

食べながら、僕はどれをアンジェラに持って行けるか、

そればかり考えていた。

 

チャーハンが残りそうだな、と思っていると、

めずらしく明がお代わりをして、なくなりそうだ。

 

僕らの好物のフライドチキンも作ってある。

 

マルタおばさんは、毎年、我が家の料理を作ってくれていて、

もう3回めになるので、僕らの好みをよく承知している。

日本人家庭で料理番をしていたこともあるそうだ。

 

ことさらに日本料理を作ってもらうことはないけれど、

マルタおばさんのメキシコ料理は、温かくて、きれいで、

おいしかった。

 

デザートに、こってりした味のプリンを食べると、

もうお腹がいっぱいになる。

 

 

モニカや母を手伝って、空いたお皿をキッチンに運ぶ手伝いをし、

その際、どこに食べ物がしまわれるのか、よく見ておいた。

 

持って行くフリをして、部屋の戸棚にしまったものもある。

 

沢山のお皿やグラスを運び、やっと片付け終わると、

モニカやマルタおばさんは、キッチンでゆっくりとコーヒーを飲み始めたので、

僕はその隙に、しまっておいた料理の皿を持って2階にあがった。

 

 

子供部屋の前に立つと、中から話し声がしたので驚いた。

 

ドアを開けると、明がアンジェラといっしょにソファの後ろで話をしている。

僕を見ると驚いた風もなく、

 

「隆ちゃん。この人、アンジェラって言うんだって。

 おうちがないから、ちょっとここにいるんだってさ。」

 

僕は明にし〜っと指を立て、

アンジェラに料理の皿を渡した。

 

「ママや、モニカに見つからないようにするんだ。

 大きな声でしゃべってたら、見つかっちゃうだろ。」

 

「見つかるとなんで駄目なの?」

 

 明が無邪気にアンジェラに訊く。

 

「・・・怖いところに連れ戻されるから・・・」

 

アンジェラは悲しそうな微笑みをうかべると、そう答えた。

 

ふうん・・・。

 

明は返事をしたものの、どう考えていいのか迷っているようだが、

 

「怖いところだったら行かなければいいよね?

 隆ちゃん・・・・」

 

そうだね・・・。

 

僕もアンジェラに微笑みかけて、

おもちゃを広げる低いテーブルを立て、そこにお皿を載せた。

 

本を読んでいるフリをして、僕はソファにすわっていたが、

明はアンジェラが食べるのを、そばで興味津々に見ていた。

 

 

 

 

 

 

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