06 アンジェラ

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クリスマスイヴになった。

 

メキシコのイブは、日本のお正月のように家族で過ごす日だ。

モニカ夫妻は朝食を済ませると、クリスマスの晴れ着を着こみ、

山のようなお土産を抱えている。

傍らのマルタおばさんも大きなバスケットを提げていた。

 

 「それでは、奥様、だんなさま、行ってまいります。

 明日の夜には、戻ってまいりますから・・・。」

 

モニカがやや固い表情であいさつすると、玄関を出て行った。

 

 

多くの人は、新年サントレイエスの日(1月6日)までクリスマス休暇なのだが、

僕たち一家は冬の休暇だけの短期滞在客なので、

モニカ夫婦もマルタおばさんも、イブとクリスマス当日しか休まない。

 

 

「僕これ好き・・・」

 

明が鼻をくんくん言わせながら、マルタおばさん特製の

バカラオ(タラ)料理の鍋ににじり寄っていく。

 

メキシコで、タラはクリスマスのごちそうなのだ。

 

 

マルタおばさんは、イブとクリスマス二日間では、

食べきれないほどのごちそうを用意しておいてくれた。

 

鶏を煮込んだカレーのような味わいのモレ、

バカラオ、つまりタラのトマト煮込み。

でっかい七面鳥も詰め物をされて、

オーブンの中でじりじり焼けている。

 

トマトやアボカド、玉ねぎ、インゲン豆の入ったサラダ。

もちろん、どんな時にもトルティージャはつきものだ。

 

モニカ夫婦とマルタおばさんを見送ったあとは、

家族水入らずに鮮やかな紅一点、アンジェラが加わって、

イブの食事は、ぐっと楽しく華やかになった。

 

 

昼から、お腹いっぱいクリスマスディナーを食べると、

父と母は仕事仲間の家に急病人が出たとかで、

夕方から、急きょ、見舞いに行かなくてはならなくなった。

 

「こんな日に出かけるのは嫌なんだけど、

 あちらはメキシコに来て日も浅いし、

 小さいお子さんが二人いるところに、お母さんが病気になって、

 すごく困っているようなの。

 

 ママたちは、お見舞いに行ってくるから、

 しっかり戸締まりして、いい子で待っていて。

 夜は一緒にポンスを飲みましょうね。」

 

最後の言葉は、アンジェラに言ったようだ。

アンジェラがうれしそうにうなずいたので、

僕らもクリスマスポンスが楽しみになった。

 

 

 

今日のアンジェラは、真新しい黄色のドレスを着て、

頭上の髪を編んで左右にたらし、後ろで結んでいる。

もちろん三つ編みの先には、僕のプレゼントした、

あの深紅のリボンが結んである。

 

黒い巻き毛が額にかかって、アンジェラの美しい顔を

絵に描かれた聖母のように見せていた。

 

「アンジェラ、とてもきれいだよ。」

 

「ありがとう・・」

 

僕が言うとアンジェラは、ほんのり頬を赤らめた。

 

「うん、アンジェラはすごく美人だ。

 僕、友だちに見せたいくらい。

 ねえ、今度、友だちを連れてきてもいい?」

 

明が甘えたようにアンジェラに言うと、

 

「ううん、わたしの友だちはアキラとタカシだけ。

 二人が大好きだから、他の友だちは要らないわ。」

 

アンジェラに手を取って言われると、明はすぐ納得した。

 

「そうだね。僕らだけでいいのかもね。

 でも僕らは冬休みが終わると、日本に帰っちゃうよ。

 そしたらアンジェラはどうするの?」

 

僕の胸にさっと痛みが走った。

アンジェラを見ると、アンジェラもどこかが痛くなったような表情だ。

 

この休みが終わったら、アンジェラはどうなるんだろう・・・。

 

僕の顔に不安を読み取ってしまったのだろう。

アンジェラは、にっこりと笑ってくれた。

 

「まだわからないけど、きっと大丈夫。

 さ、お父さんたちが帰ってくるまでにポンスの用意をして、

 トランプでもやりましょ。」

 

 

 

 

イブの夜は静かに更けて行く。

 

ごちそうで満腹のうえ、好きなだけ遊んでもいい時間はとても気楽だ。

外からは時おり、歓声や音楽が聞こえてきたが、

家の中は静かで温かい。

 

だが、トランプをやって騒ぎ、遊び疲れると、

子供だけで夜を過ごす不安がひたひたと寄せて来る。

 

一年中、ぼんわりと温かいメキシコでも、

今夜は少し冷えてきたようだ。

 

両親はなかなか帰ってこず、明は目をこすり始めたかと思うと、

パジャマに着替えるが早いか、すぐに眠ってしまった。

 

僕も少し眠くなったが、アンジェラはどこか緊張している。

口数が少なくなり、窓の外を気にしているようだ。

 

外から聞こえてくるお祭り騒ぎの音も少し小さくなったようなのに、

アンジェラは上の空で、時おり耳をすましている。

 

「アンジェラ。もう寝よう。

 母たちが帰ってきたら、きっとポンスを作って起こしてくれるよ。」

 

「そうね」

 

アンジェラがやっとうなずいたので、僕はほっとした。

二人で並んで歯をみがき、

「おやすみなさい」を言い合って、お互いの寝室に分かれた。

 

 

 

 

鐘が鳴っている。

パーティの音、夜中のミサに行く人たちの足音、

いろんな物音がして、僕の眠りは落ち着かなかった。

 

家のどこかでごとごとと物音がし、

アンジェラが叫んでいるような夢を見て、僕は何度もベッドで寝返りを打った。

ふいに冷たい手が僕の頬に触れる。

 

 

ゆっくりと目をあけると、本当に僕の頬に手が触れていた。

はっとして仰向けになると、ベッドの脇に、

白い寝間着姿のアンジェラが亡霊のように立っている。

 

「アンジェラ・・・どうしたの?」

 

ああ、タカシ・・・ごめんなさい。

でも怖くて・・。

 

アンジェラはベッドにかがみ込んでくると、

僕の手にしがみついた。

 

アンジェラの手は、ぞっとするほど冷たく、震えているようだ。

 

「どうしたの?何かあったの?」

 

完全にベッドに起き直って、アンジェラの顔を見ると、

頬に涙の痕があり、恐怖にひきつっている。

 

「怖い夢を見たの・・・」

 

どんな夢?

 

僕はしがみつかれていない方の手で、

母がよくやってくれるようにアンジェラの背中を撫でた。

 

薄い寝間着の背中が冷えきって、小刻みに震えている。

 

「アンジェラ、これじゃ寒いよ。

 ベッドに入って・・・」

 

アンジェラはまだ濡れている瞳を僕に向けた。

 

「だって・・・いいの?」

 

「いいよ・・・。

 ときどき、明だって潜り込んでくるんだ。

 すごく暴れるから、とても寝てられないけどね。」

 

アンジェラはそれ以上何も言わずに、するりと毛布の中に入ってきた。

潜り込んで来た体の冷たさに、思わず僕が身震いする。

 

「あ、ごめんなさい。」

 

「ううん。でもアンジェラ、全然寝てないの?

 冷えきってるみたいだ。」

 

「誰かがわたしを呼んでいるような気がして・・。

 ベッドに入っていられなかったの。」

 

怖かった、すごく。

 

アンジェラは僕にしがみついてきた。

 

アンジェラの髪から、甘いにおいが立ち上って、

僕は胸がぎゅっとなったが、アンジェラはまだ震えている。

 

「どんな夢だったの?」

 

僕はさきほどの問いを繰り返した。

アンジェラの温かい息がふわりと僕の頬にかかる。

 

「お父さんに怖いところに連れて行かれる夢。

 そこのうちの奥さまや、お手伝いの人が

 わたしのことをつねったり、蹴飛ばしたりするの。

 

 旦那さまは、すごく優しくしてくださって、

 こっそりわたしを部屋に呼んで、ドレスをくれようとしたの。

 そしたら奥様がすごく怒って、わたしを階段から突き飛ばしたの。

 

 次の日、納戸でさんざんぶたれたわ。

『おまえは泥棒だ、魔女だ』って。

 わたし、何にもどろぼうなんてしてないのに。」

 

アンジェラはシーツに顔を伏せてすすり泣いた。

 

アンジェラは夢だと言っているが、

この話が夢じゃないのは、僕にだってわかった。

 

帰る場所のないアンジェラを誰かがいじめる。

そんなところへ、父親から働きに行かされる。

 

なんてむごい話だろう。

 

 

僕がじっと固まってしまったのを感じて、

アンジェラがシーツから顔をあげた。

 

「ごめんね、タカシ。起こしてしまって。

 これは『夢』なんだけど、怖い夢なの。

 ひとりでいると、またその続きを見そうだから、

 しばらくここにいさせて・・・。」

 

お願い・・・。

 

アンジェラが僕の肩に頬をよせて、じっと動かなくなった。

やっと体が温まって、お互いのぬくもりが直に感じ取れるようになる。

 

母とも、ときどき潜り込んでくる弟の明とも、

まるで違う骨組み、匂い。

僕の手の下にある骨は丸く、細く、そのくせしなやかだ。

 

体が温まると、黒髪から立ち上る匂いも一層強くなった。

 

アンジェラの両手は、首に掛けた十字架をしっかりと握っている。

 

僕は左手をのばして、アンジェラの肩にのせる。

大丈夫だよ・・・と、安心させてやりたかった。

 

僕がついているんだから、と言うほど自信はないけれど、

おびえているアンジェラを温めることくらいはできる。

 

ここまでひとりで逃げて来られたんだ。

きっと何か道はある。

 

明日、両親が帰って来たらすぐ、この話をしなくては・・・。

 

そう思いながら、すっかり暖まったベッドで寄り添っているうち、

いつの間にか眠ってしまった。

 

 

 

 

クリスマスの朝。

 

メキシコの子供たちは、サンタクロースからじゃなく、

新年、サントレイエス(3賢人)の日におもちゃをもらうようだが、

僕らのところには、ちゃんとサンタが来てくれた。

 

僕はサンタの存在を信じられる年齢をすぎていたが、

ツリーの下にプレゼントがあるのは、やっぱりうれしい。

 

僕へのプレゼントは前から欲しかった望遠鏡。

明はレゴのおもちゃ。

そしてアンジェラには、たくさんのビーズが色別に分かれて、

びっしり入った小箱が入っていた。

 

「きれい・・・」

 

そう言ったなり、アンジェラは固まってしまい、

首にかかった十字架をまた握りしめている。

 

神様、ありがとうございます。

 

小さな声でつぶやくのが聞こえた。

 

 

 

 

父と母は、今朝方ようやく戻って来たとかで、疲れた顔をしていた。

 

「お母さんの容態があまり良くないのに、

 子供の一人もどうやら感染してしまったみたいなの。

 また行ってあげないと駄目だわ。」

 

母は僕たちにそう説明した。

 

僕は朝ごはんがすむとすぐに母を捕まえて、

アンジェラの夢の話をした。

 

母の顔がひどく曇る。

 

「ひどい目にあってきたみたいね。

 まだ13才なのに・・・」

 

とにかく、なるべく早く手を打ちましょう。

 

母は約束してくれた。

 

 

 

 

 

クリスマス当日の街はおだやかだ。

先日まで、人と車でごった返していた道路もずいぶんと空いている。

 

休暇でメキシコシティを離れた人も多いのだろう。

 

両親と僕らは、近くの教会のミサにやってきた。

 

日本メキシコ学院で一緒の友だちもいたし、

父の仕事関係の家族も来ていた。

 

「クリスマスおめでとう・・・」

「神様のご加護がありますように・・・」

 

僕もアンジェラのために、神に祈った。

僕はカトリック教徒ではないが、神様を信じているアンジェラを

どうか助けてください、と。

 

父や母は知り合いとおしゃべりをし、

何人かから、お茶に誘われたが、僕は早く家に帰りたかった。

 

「ママ、家に帰ろうよ。」

 

明までもが、そんな風に訴えるのに負けて、

僕らは早々に家に戻った。

 

 

 

 

 

夜には、モニカ夫婦も戻って来た。

 

「メリー・クリスマス、モニカ。いつもありがとう」

 

母からプレゼントを渡されて、モニカはうれしそうだったが、

アンジェラの顔を見ると露骨に嫌な顔をした。

 

母はなだめるように、

 

「わたしたち、昨日、クリスマスポンスを飲んでいないの。

 モニカが作ってくれるとうれしいわ。」

 

母の言葉でたちまちモニカは機嫌を直して、

 

「待っててください!

 わたしのは特製ですからね。

 いっぺんに体があったまって、幸運が舞い込んでくるんですよ。」

 

 

りんご、なし、オレンジ、プラム・・ここまでは僕にもわかるが、

モニカは他にもあまり見たことのない柑橘類や、さとう、

香辛料をいろいろと鍋に入れてぐつぐつ煮立てると、

家中に果物とスパイスの香りが立ちこめる。

 

明もキッチンに駆け込んできたが、アンジェラは入ってこない。

キッチンの外から、じっと様子を伺っているだけだ。

 

大きな陶器のマグになみなみと注ぎ分け、

大人たちはワインの残りや、ラム、テキーラなどのお酒をたらす。

 

モニカがマルタおばさんの作ってくれた、

グアカモーレとトルティージャを出してきてくれた。

 

「アンジェラ」

 

僕はキッチンから手招きしてアンジェラを呼び、

彼女の鼻先にポンスのマグを近づけた。

 

アンジェラは目を閉じ、うっとりと香りを吸い込んでいる。

 

僕はからかいたくなって、きゅっとアンジェラの鼻をつまむと、

アンジェラは目を開けて、さっと僕をにらんだ。

 

「匂いをかいでるだけじゃなくってさ。あっちで飲もうよ。

 すごく熱そうだけど・・・」

 

「タカシちゃんたちのは、そんなに熱くしてませんよ」

 

モニカが不満そうに言う。

 

明がちょろっと舌先でなめ、

 

「う〜ん、メキシコのあじ・・」とつぶやくと、モニカが笑い、

やっとアンジェラも笑った。

 

 

 

 

 

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