07 アンジェラ

angela_title.jpg

 

26日、病気の家からまた電話があった。

奥さんと子供の症状が悪化して、それはそれは大変らしい。

 

母たちは今日、アンジェラの話をするために、

誰かと会う約束だったらしいが、いったん延ばしてもらって、

病気の家族のところに駆けつけることになった。

 

母は家中にあった日本食や即席ラーメン、貴重品の梅干しなどを

バッグにつめている。

 

モニカ夫婦に僕らのことを頼むと、あわただしく出かけてしまったが、

午後にはマルタおばさんも来るので、イブの夜のような不安はない。

 

 

 

 

ひさしぶりに庭の鶏小屋に行き、卵を探してみた。

 

コッコッ、ピーピーと鶏たちが抗議する中、

僕は温かい茶色の卵を5つも藁の中に見つけ、

セーターの裾に落としてそうっと包みながら、そろそろと鶏小屋を出る。

 

ふっと何かの気配を感じる。

 

立ち止まって辺りを見回したが、誰も何もいない。

門扉は固く閉ざされているし、外の道路にも人影はない。

 

車は父たちが乗って行ってしまい、車庫のスペースがガランと空いている。

 

 

耳をそばだてたまま、しばらく突っ立っていたが、

特に変わったことは見られないので、

僕は卵を落とさないようにして家に入った。

 

これでプリンでも作ってもらおう。

 

 

 

 

昼時は僕と明、アンジェラ、モニカ夫婦で、

おいしいご飯を食べた。

 

マルタおばさんは僕の希望を聞き、

プリンを作ってくれると約束をしてくれたので、僕はうれしかった。

 

さ〜て、午後は何をして遊ぼうかな・・・。

 

子供部屋にいて、そんなことを考えていると、

窓の外を怒号がつんざいた。

 

「ちくしょう!殺してやる!」

 

うおぉぉぉ、という吠えるような男の声がし、

それがホセのものだともわからずに、僕らはしばらく凍りついていた。

 

はっと気を取り直すと、迷わず僕は玄関へ駆け下り、

後ろから、明とアンジェラが続いてくるのがわかった。

 

 

玄関のドアを開けるとすぐ、ホセの姿があり、

その足下に、ホセの飼っていた黒い犬の死骸が長々と伸びていて、

口から血を吐いている。

 

真っ黒な目は開いたまま、虚空に向けられていた。

 

 

明は叫び声をあげて、アンジェラに抱きついた。

アンジェラも真っ青で、今にも倒れそうだ。

 

ホセが怒り狂って、早口のスペイン語で呪いの言葉を吐き散らしている。

母がいたら、決して許さないような悪い言葉だ。

 

丸顔のマルタおばさんまで、ひきつったような顔になり、

アンジェラを非難がましく見た。

 

「くそっ!これは悪魔の仕業だ。

 誰がやったのか、絶対に突き止めてやる。」

 

ホセの顔は怒りで紫色になっていたが、

ようやく僕と明の姿に気づくと、呪いの言葉を吐くのだけは止まった。

 

「あっちへ行っていなさい。」

 

ぎろりと僕をにらみ、モニカへあごをしゃくって促すと、

僕らを家へ向かわせ、自分はパティオへ向かう。

 

玄関のところで止まって、なおも見ていると、

鶏小屋からむしろを取って来て、犬にかぶせている。

 

僕らは、モニカとマルタおばさんにまたも背中を押され、

嫌々ながら家に入った。

 

 

 

玄関のドアを開けると、アンジェラが真っ青な顔で立っていた。

 

モニカは、僕らに聞き取れないような早口のスペイン語で、

いきなりアンジェラに罵声を浴びせだした。

 

全部は僕にもわからないが、

 

「魔女がいる家には、悪魔が入り込みやすい」とか、

「奥さまやこの家の子供たちをだましている」

と言っているのが聞き取れた

 

僕はたまらなくなって、

 

「モニカ、アンジェラのせいじゃないよ。

 どうして、ちゃんとした理由もないのにアンジェラを責めるの?」

 

モニカはくるりとこちらを向いた。

今までに見たこともないほど、怖くて頑な顔だ。

 

「タカシちゃん。

 タカシちゃんたちは日本人だから、わからないかも知れないけど、

 この子は悪い子です。

 たとえ、この子が悪い子でなくても、悪い仲間がいます。

 悪魔みたいな連中が、この子を探してるんですよ。」

 

「だったら、そこから守ってやるのが大人でしょ?

 なんで一緒になって非難するの。

 ママは、アンジェラを助けたいって言ったよ。」

 

モニカは両手を大きく広げて、頭を振ってみせた。

 

「奥様もメキシコ人じゃない。

 だから、わからないんです。」

 

そこまで言うと、くるりと後ろを向き、

どんどんと大股でキッチンの中へ入って行ってしまった。

 

 

 

 

 

夕食は重苦しい雰囲気だった。

モニカもホセも、マルタおばさんまでが、

アンジェラをテーブルから排除しようとしていたが、

僕ががんとして聞かなかった。

 

「アンジェラはここで一緒に食べるんだ!

 ママやパパだって、ちゃんと認めているんだから・・。」

 

僕がそう言うと、モニカたちは嫌々ながらアンジェラをテーブルにつかせ、

自分たちはキッチンへ引っ込んでしまったので、

ダイニングテーブルには、僕らとアンジェラだけになった。

 

「アンジェラ、気にしないで。

 犬はかわいそうだったけど、アンジェラとは関係ない。

 モニカたちがおかしいんだ。」

 

僕も少し気が立っていた。

 

昼間見た、血を吐き黒いうつろな目を向けていた犬の姿がちらつき、

モニカやホセたちの憎悪に満ちた表情が胸につかえていた。

 

明は僕とアンジェラの顔を交互に見て、だまって食事をしている。

 

アンジェラはほんの少しだけ、僕に微笑み、

 

「ありがとう、タカシ」

 

僕の指に軽く手を触れた。

 

「ママやパパが早く帰ってくればいいのにな。」

 

明がつまらなそうにつぶやいて、スープをすくっている。

 

その通りだ。

アンジェラを救うには、どうしても大人の力が必要だ。

 

 

 

 

食事の後、子供部屋にひっこむと、

明はアンジェラに甘えて、べったりくっついている。

 

アンジェラは明の肩を抱いて、読んでいるマンガを一緒に見ながら

明の話に相づちを打っている。

 

「僕ね、ドラえもんが好きなんだよ。

 ドラえもんがいたら、僕は日本からでも、

 毎日アンジェラに会いにこられるのにな。」

 

アンジェラは声を立てて笑うと、

明の頭をなでて、キスをした。

 

ママみたいなしぐさだな。

 

僕は横目でそれを見ながら、やるせない気持ちになった。

 

「アンジェラ。

 うちの両親がちゃんとしてくれるから、もう少しだけ我慢して。

 モニカたちは勝手に思い込んでいるんだ。」

 

アンジェラは僕を見て、にっこり微笑んだ。

とてもきれいな笑顔で、なぜだか僕は悲しくなる。

 

きれいなアンジェラ、優しいアンジェラ。

アンジェラが魔女だなんて、いったい、どこを見て言うのだろう。

 

アンジェラは明に向き直ると、

 

「アキラ。クリスマスのお祈りを教えてあげる。

 これを唱えれば、きっと神様が守ってくれるから。

 いい?」

 

アンジェラに抱かれて、夢うつつになりかけている明は、

自分を見つめている目が真剣なのを見て、だまってうなずいた。

 

アンジェラは僕にもまじめな顔を向けた。

仕方なく僕もうなずく。

 

アンジェラの神様を信じているわけではないが、

それでアンジェラの気がすむのなら、という気持ちだった。

 

アンジェラはそっと明を放して、ひざまずくと

低い声でお祈りを唱え始め、僕らにも続くように言う。

 

半分寝そべっていた僕らも、体を起こして、

アンジェラの近くにひざまずき、

アンジェラの唱えるお祈りを復唱した。

 

僕らのなじみつつあるスペイン語とはやや違った言葉だったが、

アンジェラの言う通りにまねをして、一緒に唱え終わった。

 

唱え終わってもアンジェラはまだじっと動かない。

 

 

額のあたりから泡のように巻き上がっている小さなカール、

濃く長いまつ毛にふちどられた、半ば閉じられたまぶた。

 

どこかのイコンに描かれているような、清楚で美しい横顔だ。

 

聖母というのは、こんな顔をしているのだろうか。

いつか美術館で見たマリア像に似ている気もする。

 

だったら、人々が神様を信じるのも無理はない。

こんなきれいな物は神様にしか造れないだろうから。

 

 

アンジェラは僕らには聞きとれないくらい低い声で、

お祈りらしい言葉をつぶやき続けている。

 

僕と明はふたりしてアンジェラに見とれながら、

ただ見守っていた。

 

やがて、

 

「この祈りを我が主イエス・キリストと聖母マリアに捧げます。

 アーメン・・・」

 

と聞こえたので、僕らも「アーメン」と復唱した。

長い海外生活から、僕らだって、

お祈りの締めの言葉くらいわかっている。

 

アンジェラが大きな目をひらき、僕らに優しい笑顔を見せた。

その表情を見て緊張がほぐれたのか、

明がまたアンジェラにくっつきだす。

 

 

「今度はお祈りじゃないのがいいな・・。

 アンジェラ、何か歌ってよ。」

 

 

明がねだるとアンジェラが困ったように僕を見る。

僕もうなずいて「ああ、何か歌って」と促した。

 

アンジェラはためらって、しばらく膝の上できゃしゃな手を握りしめていたが、

やがて、きれいなメロディを歌い始めた。

 

僕らの聞いたことのない歌だ。

 

賛美歌のような、子守唄のような感じで、

最後がリフレインになり、同じ言葉を繰り返し歌う。

 

しまいには僕らも覚えてしまって、そのリフレインの部分だけ、

アンジェラと一緒に歌った。

 

何度か繰り返して歌っていると、いきなり子ども部屋の扉が開き、

モニカが入って来た。

 

「いつまで起きているんですか。

 お母様たちがいなくても、ちゃんといい子にしなくてはいけません。

 いつまでもつまらない歌なんか歌ってちゃ、ダメです!」

 

きつい言葉でアンジェラをにらみつけると、

アンジェラはすぐに部屋を出て行った。

 

僕はだまってモニカを見返した。

 

ことさらににらむでもなく、非難するような表情も出さず、

ただ黙って、じっと見る。

 

以前、僕のこの顔が一番怖い、と

友だちに言われたことがあるのを思い出したのだ。

 

モニカは最初、挑戦的に鼻の穴をふくらませて唇を引き結び、

すごい顔つきでにらみ返して来たが、僕は全然平気だった。

 

 

負けるもんか。

明日の朝までだって、にらみ続けてやる。

 

そのうちにモニカの視線が揺れだした。

僕の視線を受け止められなくなったのだ。

こういうのは知っている。

空手の試合で相手の視線が揺れだしたら、こちらの勝ちなのだ。

 

「モニカ、もう眠いよ。」

 

沈黙を破ったのは明だった。

立ち上がって目をこすりながら、

パジャマの入っているクローゼットに向かいだすと、

モニカがあわてて後を追い、

明がパジャマを引っ張りだすのを手伝っている。

 

僕も自分のパジャマを取り出して、黙って着替え始めた。

 

「きちんと歯をみがいて下さい。

 まだ後で来ますからね。」

 

言い残すと、どこかほっとしたようにモニカが寝室を出て行く。

 

明がその後ろ姿を見て、外国人のように両手を広げる仕草をし、

片方の眉をあげたので、僕は笑って親指を挙げ、ウィンクした。

 

 

 

 

 

実を言うと目がさえて、ぜんぜん眠くなかったが、

仕方なくベッドに入り、暗い天井を見つめる。

 

明のベッドからはすでに規則的な寝息が聞こえて来る。

階下の物音はあまり聞こえなかったが、

モニカ夫婦が休んでいないことはわかった。

 

 

母たちはまだ帰って来ない。

早く帰ってくればいいのに。

 

今日のことを早く母に話して、アンジェラについての誤解を解くよう

モニカに話をしてもらいたかった。

 

目を閉じると、あの虚ろな犬の目が浮かんで来る。

 

もっと別なことを考えようと、いろいろ思い浮かべて見るのだが、

気がつくと、あの犬の顔に戻ってしまう。

 

そのせいか眠りは浅く、何度も寝返りを打ち、

その度に階下の物音に耳を済ましたりしたが、

それでもいつしか眠ってしまったらしい。

 

 

 

アンジェラの夢を見た。

 

新しい黄色い服を着て、きれいだが、

少し悲しそうな顔で黙って立っている。

 

あまりにもじっと立っているので、手を伸ばそうとすると

金縛りにあったように、うまく体が動かない。

 

息苦しさに思い切り手足をもがくと、ようやく体が動き、

助かった、と思ったところで目がさめた。

 

ベッドのそばには誰もいない。

 

暗い闇が部屋の四隅にたまって、重苦しく感じられたが人の気配はない。

 

やっぱり夢だったかと思い直し、ほっと息をついて、

もう一度目を閉じる。

 

しん、としていた。

 

階下で、柱時計が時を打つのが聞こえたが、

それが幾つなのか、眠くて数えることができない。

引きずられるようにまた眠りに落ちて行くのが、

自分でもわかった。

 

 

 

 

 

 

Be the first to comment

Leave a Reply

Your email address will not be published.


*