01奇蹟の夜・前編

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昼の間、焼け尽くしたアスファルトの熱はもう冷めて、

夜の路上を渡るのは乾いた秋の風だ。

 

7年ぶりの東京。

4年前の帰国時は、仕事の都合から

大阪を中心とした関西方面を回っただけで、

そのまま、米国に戻らざるを得なかった。

 

渋谷の街も、集まってくれた面々とも7年、10年と

ずいぶん間が空いてしまったが、それだけに懐かしく、

変わらない笑顔と、変化した近況を聞くうちに、

あっという間に時は過ぎてしまった。

 

「ティアン、まだ早いじゃないか。もう一軒行こうぜ。」


「いや、残念ながら、これからまだやることが残ってるんだ。

 今日は楽しかったよ。

 ありがとう。」

 

ティアンの返事を聞くと、迷っていたような面々が顔を見合わせ、

それなら、と解散を決めた。

 

駅まで一緒に帰ろうと言う気遣いを、

久しぶりに一人で渋谷を歩いてみたいからと断り、

名残り惜しそうな友人たちに別れを告げると、

公園通りのゆるやかな坂道を上り始めた。

 

 

ビルのシルエットは変わらなくとも、街並は確実に変化している。

大きなファッションビルのひとつが黒く口を開けたまま放置され、

明かりもないままにたたずんでいるのがわびしかった。

不況の波は確実に世界をめぐっている。

 

コンビニの前では、そろいのTシャツにミニスカートの女の子たちを前に、

若い男が訓示らしきものを述べている。

 

「今日はご苦労さまでした。

 明日は8時半に集合し、ここでサンプルを渡します。

 今日と同じように笑顔と元気も渡して行きましょう。」

 

くっきりと見開いたようなメイクの女の子たちは、

誰もが真剣にうなずいている。

関係者なのか、コンビニの中は若者でいっぱいだ。

 

更けるにつれ、だんだんと少なくなる人通りに逆らい、

原宿方面へ続く道に「たばこと塩の博物館」がある。

 

とうに閉まっているだろうに、妙なところを指定されたものだ、と

いぶかりながら近づくと、建物前のパティオがカフェになっていた。

 

なるほど・・・・。

 

カフェに足を踏み入れないまま、ゆっくりと見渡す。

ショートパンツの女の子たち、黒くぬめるシャツを着たヒゲ男、

短パンにサンダルをつっかけた若い男。

 

彼女の髪は今も長いだろうか。

スカートだろうか、それともパンツ姿でさっそうと足を組んでいるのか。

 

順繰りに探して行くうち、肩すれすれに

ふわりと柔らかく髪をそよがせた姿を認めた。

 

白地に細かいグリーンの模様が散ったドレスを着て、

きゃしゃなサンダルから、白い脚がすらりとのびている。

テーブルの上で軽く手を組み、通りの先を見つめていた。

 

あまりに懐かしい横顔に魅入られて、しばしそのまま佇んでいると、

不意に彼女がこちらを向いた。

 

あら・・・!

 

彼女の白い手が口元にあがり、驚きで丸くなった唇が一瞬見えなくなる。

 

やあ・・・。

 

隠れて見つめていた後ろめたさをごまかすために、笑顔で近づくと、

彼女は僕を待たずに椅子から立ち上がった。

 

「ひさしぶりだね。

 僕にも何か飲ませてくれないかな?」

 

冗談ぽく言ったつもりだったが、彼女は真面目に首をふる。

 

「じき閉店なの。もうオーダーストップだわ。」

 

そうなのか・・・。

 

仕方なく座るのをあきらめ、彼女が隣に並ぶのを待った。

 

ほの暗い中、整った白い顔が笑みをうかべるのを見ると、

本気で喉が渇いてくる。

 

「みんな元気だった?」

 

ゆっくりと歩み寄りながら、尋ねてくる。

さっきいた仲間たちは、彼女にとっても懐かしい顔のはずだ。

 

「ああ、とっても。

 ぜんぜん、みんなと会ってないの?」

 

「何人かには会ってる。

 でもそれほど会いたくない人もいるから・・」

 

どういう仲間かと問われれば、もとは同級生と

そこから派生した顔ぶれによる遊び友だち。

中のひとりと、しばらく彼女は付き合っていた。

 

「あいつなら、来なかったよ。」

 

僕の言葉に、彼女はほんのわずか肩の力を抜いて苦笑した。

 

「臆病ね、いつまでも。みんな、とっくに忘れているのに。」

 

確かにもう話題にものぼらないが、誰も忘れてはいない。

二人が別れたとき、彼女はひどく傷つき、男は別の女性とあっさり結婚し、

もう子どももいることも皆、ちゃんと知っていた。

だが、そんな話をしに来たんじゃない。

 

「ねえ、すぐ近くに小さなホテルのバーがあるの。

 時間、まだ少しはある?」

 

「一晩中でも・・」

 

彼女が微笑むと白い花がほころぶようだ。

それは昔から変わらない。

固いつぼみがほどけて、やわらかな花びらが開くように、

彼女の笑顔は花咲く。

 

僕は腕を差し出したが、彼女はためらっているようだ。

 

「ティアン・・・」

「単なるエスコートだ。そんなサンダルだと、沢山は歩けないだろうと思ってさ。」

「すぐ近くだもの。沢山は歩かないわ。」

 

ちぇ、君と一緒に少し街を歩いてみたかったのに。

 

僕の心の呟きが聞こえたかのように、彼女がまたこちらを見て微笑んだ。

白い蝶が羽を羽ばたかせるみたいにドレスが翻ると、

肩先の髪もふわりと巻き上がった。

紋白蝶のように透明な姿を捕まえたくて、僕はひとり汗をかいていた。

 

 

 

 

 

行くか、行くまいか、ずっと迷っていた待ち合わせだった。

最後に過ごしたときの思い出が、まだ恐ろしく鮮やかによみがえって来て、

わたしひとり、焦がれ続けているのが苦しいから、

もう二度と会うまいと思っていたのに。

 

あなたと初めて出会ったのは、20代の始めだったけれど、

いつのまにか時が流れ、別々の場所で10年以上の歳月を重ねている。

自分が変わっていく恐ろしさよりも、

あなたが変わってしまっていたら、と

想像するのが怖かった。

 

インテリでセクシーな米国人女性と結婚して、

良き米国市民として新しい人生を定める筈だったあなたは、

最初に出会った時の不安定さと

傷つきやすい瞳を抱えたままの大人になっていた。

 

そんなあなたに、もう一度恋をして、

そして今度こそ、永遠に別れたはずだったのに、

あなたはわたしの中で、いつまでたっても強烈な映像のように、

繰り返し、再生を繰り返している。

 

今夜こそ、何かが終わるだろう。

 

星も見えない空の下でプラスチックの椅子に座ったまま、

ぐるぐると思いを巡らせていると、

首すじのあたりに突き当たったものがある。

背筋がすっと総毛立つような、強く重い塊をぶつけられたみたいな。

 

ふり向くと、舗道にあなたが立っていた。

心にも体にも贅肉ひとつ寄り付かせないまま、

自信ありげな大人のたたずまいに、少年のまなざしを宿らせて。

 

どうして、まったくおじさんにならないの?

分別とか、恰幅とかいう言葉が、あなたにはまるで似合わない。

 

 

 

 

 

「ティアン、今までどうしていたの?」


「どうしてたって訊かれるといろいろだよ。

 本当にいろんなことがあって、身辺にも少し変化があった。

 でも僕自身はこの通り、ぜんぜん成長しないままだ。」

 

以前は恐ろしく酒に強かったティアンが、一度体調を崩してからは

慎重にロックグラスを傾けると、大きな手の中でカラン、と氷が鳴る。

 

「もう会えないかと思っていたわ。」


「ほんとに?僕はもっと別な風に考えていた。」


「別な風ってどんな風に?」


「つまり・・・もう二度と会ってもらえないんじゃないか、って。

 だから、さっき君の姿を見て、心底ほっとした。

 うれしかった。本当にうれしかった・・・」

 

うれしかったときまじめに繰り返すティアンの口調がおかしくて、

思わず、笑みがこぼれる。

 

「エリカ・・。僕がこんなに真剣なのに笑うんだな。」

 

その声が体中に共鳴したように聞こえて、

エリカは思わず身を震わせた。

 

「寒いの?」

 

真面目に問うて、上着を脱ぎかけたティアンをあわてて制する。

 

「ちがうの。大丈夫。

 あなたの声でふるえちゃったのよ。」


「え・・・?」

 

エリカの言葉の意味を計りかねて、ティアンが難しい顔をする。

その表情がまた可愛くて、こんなバーのカウンターにふさわしくないほど、

エリカは声をたてて笑ってしまった。

 

「ひどいな・・・」

 

ティアンは困った横顔まできれいだ。

額から鼻筋にかけての線は流れるようなのに、

口元だけがややきつく結ばれ、少し怒っている。

 

この人はいつも一生懸命だ。

手加減とか、ほどほどという言葉を知らない。

 

「身辺の変化って何?」

 

取りなすようにエリカが問うと、ティアンが手を広げて肩をすくめてみせたが、

そんな仕草も長い米国暮らしですっかり板についている。

 

「ふふ、そんな風にするとアメリカ人みたい。」


「アメリカ人だよ、今は。グリーンカードも持っている。

 身辺の変化については、もう少しあとで話そう・・・」

 

そう・・。

 

何だか聞くのが怖かった。

だから、エリカは用意してきた言葉を言ってしまうことにした。

 

「ねえ、ティアン・・・。

 お誕生日おめでとう。」

 

ティアンはわずかに眉を上げて、反応したけれど、

すごく意外に思っている様子ではなかった。

 

「ありがとう・・・覚えていてくれてうれしい。」


「何かプレゼントを、と思ったのだけど、何を用意したらいいのか思いつかなくて。」


「来てくれたことが最高のプレゼント、と言いたいとこだけど、

 実は、他にねだりたいものがあるんだ。」


「なに?ねだりたいものって・・」


「それも、もう少し後で話そう。」


「やだ、思わせぶりね。」

 

いつも率直なティアンらしくなかったが、

エリカはこのまま突っ込むのを避けた。

 

「君のことが聞きたいな。

 身辺の変化はあったの?」


「うん、ひとつだけ。

 父が亡くなったの。」

 

途端にティアンの表情が変化して、うろたえた顔になった。

 

「知らなかった。ごめん。

 いつのこと?」


「去年の秋。ようやく落ち着いたところなの・・」


「そうか。大変だったね。」


「ううん、仕方がなかったの。

 他には何も変化なし。姪っ子はどんどん大きくなるけれど

 わたしは変わらないままよ。」


「そうか。そうなのか・・・」

 

ティアンが真面目な顔であまりに何度も、大きくうなずいたので、

エリカは不思議に思った。

 

「どうしたの?

 今日のティアンは前と違うみたい。」

 

いぶかるような声に応えるように、

ティアンが、カウンターにぱたりと小さな物を置いた。

 

「これ・・!」

 

エリカは小ぶりの赤い手帳を手に取って驚いた。

ずっと前になくしてしまったと思っていたものだ。

 

「なんでティアンが持ってるの?」

 

エリカの詰問にティアンは少しばつの悪そうな顔をした。

 

「ごめん。何度も送ろうとしたんだけど、

 ついに離せずに来てしまった。

 これを渡しに君に逢いに行こうかとすら、思っていたんだ。」

 

どうして?

 

ティアンはしばらく黙っていたが、手を出して、

エリカから手帳を受け取ると、パラパラめくった。

 

「手帳なんて実に個人的なものだ。持ち主以外、開けるべきじゃない。

 頭では分かっていたけど、どうしても止められなかった。

 

 僕は、もう一度、君に逢いたくて気が狂いそうだったから、

 君に近い持ち物が、離せなかったんだ」

 

ティアンの告白にエリカは胸をつかれた。


それはわたしも同じだったのに。

 

「1年ほど前、上海で三日だけ君と過ごせたよね。

 あの時、もうこれきり君に逢うまいと思った。

 米国と日本と、住む国が永遠に違うなら、もう会わない方がいい、と。」

 

上海・・・。

 

あの三日間のことは、永遠に忘れないだろう。

こんな風にティアンと過ごせるのは最後だと、

何もかも忘れて、お互いに溺れるような日々となった。

 

「米国に戻って、これが僕の荷物に紛れているのを見つけた。

 すぐに送り返そうと思ったけど、君の手帳の後ろの余白に、

 ほんの小さな走り書きを見つけた。

 

 ほら、ここだよ。

 もし、僕の思い違いじゃなければ・・・」

 

ティアンは慣れた手つきで、その余白ページを広げてみせた。

ローマ字がふたつと数字の羅列。

 

pw: tk720829

 

「これは・・・パスワードだよね?」

 

ティアン・金平、

72年8月29日生まれ。

あなたの数字を毎日、何度となく打ち続けているの。

 

「そうよ、ティアン。

 わたしのパソコンと携帯のパスワード。

 こんな風に手帳に書き留めること自体、不適切よね。」

 

エリカの自嘲にもティアンの視線は揺らがない。

 

「今も変わらない?」


「まあね。数字を色々覚えるのが得意じゃないから、

 惰性みたいなものだけど。」

 

わざと突き放すように言うと、エリカは自分の携帯電話を取り出し、

でたらめに操作して、

「ほら・・」と突き出した。

パスワードが問われている。

 

ティアンがゆっくり受け取って、大きな手に似合わぬ、ほそい指で

細かなキーボードを操作すると、

フェイスが割れて、ぱっと操作画面が現れた。

 

ティアンはその携帯の画面をじっとにらんでいたが、

ふと目をあげてエリカを見た。

 

「変えようと思わなかった?」

「思ったわ、何度も。でも変えられなかったの。」

 

ティアンが軽く目を閉じて、小さなため息をついた。

 

「では、僕の話のその1をしよう。

 実は、長らく米国の大学で教えて来たけれど、

 このほど日本の大学から、ポストを用意するから、とオファーが来た。」


「え、日本の大学?いったい、どこの大学のこと?」


「僕らの出た大学だよ。

 新しく学部を新設して、専攻も増やすそうだが、

 その分野を教えられる適任者がうまく見つからなかったらしい。

 米国で発祥した分野だからね。

 僕は10年以上米国で教えているけれど、日本語は忘れていないし、

 つまりそういうわけ・・・」


「ティアン、じゃ、あなた日本に帰ってくるの?」

 

エリカは驚いて、隣に座るティアンの腕をつかんだ。

 

「そうしようかと思ってる。

 僕みたいな出自の人間は、日本でポスト争いをして勝ち上がっていくより、

 米国でキャリアを積んで戻ってきた方が早かったみたいだな。」


「すごいわ!ティアン。おめでとう・・・・」

 

大学の同級生のうちでも、ティアンは飛び抜けて優秀だった。

だが卒業しても企業に入らず、少数精鋭のシンクタンクにとびこみ、

まもなく米国に留学して、そのまま仕事を得た。

 

彼の意志でもあるが、ティアンが日本企業の中で

どれほど勝ち上がっていかれたかは未知数だ。

今よりずっと差別の厳しい状況だったから。

 

留学してもいずれ戻ってくると思っていたのに、

米国でそのままキャリアを積む、と聞いた時は寂しかった。

だが、ついに戻って来られるのだ。

それもちゃんとしかるべきポストを得て・・・。

 

「僕は日本に戻って来て、いいんだろうか。」

「もちろん、いいわよ。ご両親だって、こちらにいるでしょ。」

「まあね。それだけ?」

「それだけって・・・・。」


それ以上の言葉を口にできる立場ではないわ。

 

「エリカはどうなの?」

「わたし。わたしはもちろん、戻ってきてくれればうれしいわ。」

「どうして?」

「どうしてって、だって、また会えるかもしれないし・・・。」

 

ティアンはちらりと微笑んだ。

言わせたぞ、という顔にも思えて、少し悔しかった。

 

「とにかく、お祝いしなくちゃ・・・」

 

エリカがグラスを取り上げると、ふたりで視線をからめたまま、グラスを上げた。

 

「ともかく、おめでとう!」

「ありがとう・・・」

 

グラスをコースターに戻すと、ティアンはまたしばらく黙った。

エリカもこの沈黙を壊さない方がいい気がして、

隣で口を閉じていたが、

時折、ティアンの視線が自分に注がれるのを感じていた。

 

「ねえ、エリカ。

 絶対に笑わないで聞いて欲しいんだ。

 笑わないって、約束してくれる?」


「約束するわ。」

 

いつになく真面目な顔に、エリカも表情を引き締めた。

 

「僕は君を愛している。」

 

 

 

               <後編へ続く>

3 Comments

  1. おひさしぶりです。
    このお話、去年アップしようとして間に合わず、
    ぐるっと一年回ってしまいました。
    よろしければ、ほんの小さなお話、前後篇の読み切りですが、
    楽しんで下さい。
    扉絵はnonmamちゃんに作ってもらいました。
    いつもありがとう。

  2. わ~い こちらにもお誕生日おめでとう~♪
    何だかそそられそうな方だわ!
    もちろん御本家がモデルだからあたりまえなんだけど。(爆)
    影があって 何か曰くありげで…う~~ん 後半が待ち遠しいです!
    二人の関係も 前・後編と言わずに 長くなりそうなお話ではありませんか!
    ドキドキで待っています!

  3. ruriしゃん、どうもありがとう!
    >影があって 何か曰くありげで…う~~ん 後半が待ち遠しいです!
    ありがとう。
    「熱のくすぶり」みたいなのが、街にも二人にも漂っていて、
    でもどう進んで行くのか、自分達にもわからない・・。
    >前・後編と言わずに 長くなりそうなお話
    いえいえ、今回はすっぱりと後編で終り(笑)
    そう遠くないうちにアップしますので、読んでみて下さい。

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