02 星祭り – 約束の夜 – 2話

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離婚してから2年が経った。

 

千織の暮らしはあまり変わらなかった。

会社で仕事をすること。

たまに友人と会って食事をする時以外は、

家で母と二人きりの食事をする。

 

千織は母の遅い子供だったので、

この頃、少しずつ母が小さくなるような気がしていた。

 

ある日、「お腹が痛い・・」と告げて、急に丸まってしまった母を見て仰天し、

「大げさだから、止めて」という声を無視して、救急車を呼んだ。

 

この際だからちゃんとした検査を、と頼んだ結果、

告げられた病気は、重いものだった。

 

内臓系の病気。

治ることはないけれど、急に進むというよりは、

少しずつ、少しずつ消耗していく。


今まで、母に任せ切りにしていた家事の負担を思って、

病床の母の元で

 

「ごめんね。気づいてあげられなくて・・・。」

 

自分が情けなくて、ぽろぽろと涙をこぼした。


3週間の入院後、帰宅した母はさらに一回り小さくなってしまった。

 

今まで平日は母がご飯を作り、週末に千織が

「何とかかんとかソースがけ」と言ったような、

どこかの店で食べてきたハレの食事を作って

バランスを取ってきたが、これからはそうもいかない。

 

まとめて週末に買い物をし、平日もなるたけ早く帰って、

普通の食事の仕度をした。

 

 

梅雨時は病人には辛いようだ。

湿気と蒸し暑さと、はっきりしない空模様が気分を蝕む。


千織は部屋に、真っ白い百合の花を飾って、

少しでも、母の気分の晴れるように努力する。

 

 

そんな時に、懐かしいアドレスからメールが届いた。

 

「ご無沙汰しています。元気にしていますか?

 今、日本に帰っています。

               星野圭吾 」

 

 

短い文面を見ているだけでしみじみ嬉しかった。

自分の楽しかった時代に、一緒にいてくれた人。

そんな思いがして、懐かしくて、うれしくて、すぐに返信した。

 

「元気です。圭吾こそ、元気ですか?

 忙しいでしょうけど、顔が見られたら嬉しいです。

               三枝千織 」

 

 

今度は電話がかかってきた。

 

「圭吾?」

「ああ、元気みたいだね。ちょっと心配していたんだけど・・・。」

 

そう言えば、圭吾は昔から決して千織、と呼び捨てにしなかった。

かといって、三枝さんでもない。


ちょっと、とか、ねえ、とか言って適当にごまかしていた。

二人でいる時は、君と呼ばれていた気がする。

 

「大丈夫よ。もう離婚して2年以上経つもの。

 圭吾は帰ってきているの?」

 

ああ、という返事を聞くと同時に、

 

「いつなら時間あるの?」

 

と思わず言ってしまい、圭吾に迷惑だったかとあわてて

 

「あ、ごめん。忙しいよね。電話くれてありがとう。」

 

いや、という声の後、圭吾は

 

「明日、都合つくかな・・・」

 

向こうから提案をしてきた。

母には夕食を用意しておけば大丈夫だろう。

実際、そうやって何度か、親しい友人と食事に行ったりしていた。

 

「ええ、大丈夫よ。」

 

圭吾は、都心のホテルのコーヒーハウスを指定すると、

明日の再会を約束して、電話を切った。

 

 

 

 

何を着ていったらいいのだろう。

圭吾に会うのは3年ぶり以上になる。

 

あの頃長かった髪も切ってしまったし、

あの頃より、少し痩せてしまった。

あごが尖ってしまっているような気がする。

 

圭吾と会うのは、いつもアメフトの試合やビアホールで飲む時だったから、

それほど、おしゃれをして行った記憶はない。

 

でも、寂しく見えるのは嫌だな・・・

 

迷った挙げ句、柔らかく体に添う、

フロントオープンのプリントのワンピースにした。

 

 


本当に来るのかしら・・・?


待ち合わせの時間を15分ほど過ぎて、

そんな疑問がふと頭を掠めた時、

入り口からダークネービーのスーツを着込んだ

かなり日焼けした男性が入ってくるのが見えた。

 

髪もやや長めで、ノーネクタイのシャツの衿にかかりそうだった。

以前より、ずっと精悍な印象になり、

見慣れたベビーフェイスを、もう一度、見直してしまったくらいだ。

 

 

「圭吾?」

 

圭吾の笑顔は前のままだった。

ここのコーヒーハウスに居る誰より日焼けしているせいで、

笑った口元からこぼれた歯の白さに驚いてしまう。

 

「やあ・・・」

 

ごめん、待たせちゃったね、とあやまりながら、テーブルに手を置いたが、

その手も真っ黒に日焼けしていて、

袖口から覗くシャツの白さと対照的だった。

 

「すごく日焼けしてるのね。

 スーツで日焼けして、長い髪だと、

 毎日ゴルフ三昧の遊び人に見えるわよ。」

 

いきなり、こんな言葉をかけてしまった自分に驚きながら、

言葉を引っ込めることができなかった。

 

圭吾は迷いなくビールを頼むと、

こちらを向いて、あの晴れた日のお日様のような笑顔を見せ、

 

「君は・・・髪が短くなったんだな。

 他はあまり変わってない。」

 

以前二人で会った時に、お互いの髪の長さなど

話題にしたことは、一度もなかった。

 

「そう?ずいぶん変わったのよ・・・」

「じゃ、それをゆっくり聞かせてもらおう。

 今日は食事をしていって大丈夫なの?」

「うん。大丈夫よ。」

 

 

ホテルのレストランで食事をしながら、

お互いの近況を伝え合った。

 

「お父さんが亡くなったこと、伺ってたわ。

 直接、お悔やみもいえなくてごめんなさい。」

 

「いや、長いあいだ病気だったんだ。

 あれでもずいぶん長持ちした方なんだよ。

 仕方がなかった・・・。」

 

「お家に遊びに行かせてもらった時、

 ご挨拶したお父さん、覚えてる。

 ご病気のようには見えなかった・・・」

 

そうだね、ずいぶん落ち着いていたから・・・。

 

「今、どこの国にいるの?」

 

圭吾は中東のある国の名前を挙げた。

千織には新聞で時折、石油関連のニュースで聞くだけの国名だ。

 

「海外赴任は夫婦が原則だから、

 僕には回ってこないと思っていたんだけどね。

 体を壊して帰国した前任者の専門が僕と同じだったから、

 否応もなく、あっという間に海外赴任が決まってしまった・・・」

 

もう2年になるらしい。

 

「その間、お母さんはお一人?」

 

ビールのグラスを持ったまま、おいしそうにビールを飲むと

 

「ああ、元気にしているよ。」

 

上唇に泡をつけたまま、こっちを向いたので、

つい笑ってしまった。

 

千織の笑う意味に気付くと、ジャケットを脱いで、シャツの袖をまくり、

唇を手の甲でぐいっと拭うと、シャツの袖の中も同じように

真っ黒に日焼けしているのがわかった。

 

圭吾がグラスを置いて、千織を見る。

 

「君は、まだ独身?」

 

「そうよ。圭吾は?

 夫婦者が原則なのでしょ。

 結婚してから行けばよかったのに・・・」

 

そう言われても相手がいなかったからね。

 

「海外赴任するからって、急にお見合いして決める方も沢山いるじゃない。」

「ああ、上司に強引に見合いさせられたけど、

 とてもじゃないが、丁重にお断りしたよ。」

 

2回しか会わずに結婚するなんて、乱暴過ぎる。

 

そうよね・・・

よく知っているつもりでも結婚するとわからないもの。

 

千織は心の中で呟いたつもりだったが、

圭吾にはそのまま聞こえたかのようだった。

 

「君は結婚して、幸せに暮らしているとずっと思っていた・・・」

 

「そうなの。ごめんなさい、心配かけちゃって・・・。

 1年も保たなかったの。

 誰から聞いたの?」

 

「あやまることなんかないよ。

 誰から聞いたかよりも、いつ聞いたかが問題だ。」

 

いつ聞いたの?

 

「一ヶ月前だ。友人からのメールで偶然、びっくりした・・・。

 全然、知らなかった。」

 

「もう2年も経ったのよ。聞く人もいなくなったくらいなのに。」

 

少し恨みがましく言った。

 

「ごめん・・・」

 

圭吾はまたビールのグラスを空けた。

 

千織が、ややとがめる目つきをすると、

 

「ああ、向こうでは自由にビールが飲めないからね。

 つい懐かしくて旨くて、一昨日帰ってからビールばかり飲んでいるよ。

 また飲めなくなるんだから、そんな顔するなよ。」

 

「どの位居られるの?」

 

「10日間。で、昨日と今日は会社に行ってきた。

 明日からやっと休みをもらえる。」

 

そうなんだ・・また戻るのね。

 

「今度はいつ帰ってくるの?」

「わからないな。多分、一年後か・・・」

 

お代わりのビールに口をつけようとして、

千織の方を見、少しためらっている。

 

いいのよ、遠慮しないで・・・

千織は笑って言った。

 

「また1年近く飲めなくなるんでしょ?」

 

ああ・・・。

 

圭吾は前より、無口になったのだろうか。

以前は、千織よりも圭吾が、色んなことについて話をしてくれた。

 

読んでいる本、会社での仕事の話、

今、凝っているトレーニング、いつか海のそばに住みたい夢まで・・・。

 

わたしと圭吾の間には、

取り返しのつかない沢山の時間が流れてしまった・・・

 

今の圭吾と何の話をすればいいのか、

千織にはわからない。

わからないながらも、こうして黙って一緒に座っているだけで

たまらなく懐かしかった。


圭吾は陽に焼けて、少し無口になり、

千織は少しやせて、無邪気とは言えなくなった。

 

食事を終えた時、圭吾はかなりのビールを飲んでいたが、

まるで揺らがずに歩いた。

 

「もう一軒行こう・・・」

「飲み過ぎよ・・・。帰れなくなるわよ。」

 

大丈夫だよ。

 

「でも君が嫌なら、次は炭酸水しか飲まないよ。

 それならいい?」

 

ええ・・・。

 

20人程でいっぱいになりそうな、小さなホテルのバーに移った。

 

「僕はサン・ペレグリーノを。」

 

カウンターに座ると、本気で炭酸水を頼む。

 

「私はピンク・ジン・・

 それだけ日焼けしていると、

 酔っぱらっているかどうか、わからなくて便利ね。」

 

圭吾の顔を見ながら、千織が笑った。

圭吾も千織に付き合ったように少し微笑むと、つぶやくように言った。

 

「僕は臆病者だった・・・」

 

千織は、くっと言葉を呑み込んだ。

 

「君には結婚を約束した人がいるんだと、誰かが言っていた。

 それでも君は僕と会ってくれた。

 いつも、僕をどう思っているのかと、

 ここまで出かかっていたけど、聞けなかった。

 聞いてしまったら、二度と会えなくなってしまうようで・・・

 聞けなかったんだ。

 

 でも間違っていたね、僕は・・・。」

 

千織は黙って聞いていた。

 

「君の気持ちを聞くんじゃなくて、僕の気持ちを言うべきだった。


 あの頃、それを言うのは・・・恋人のいる君に言うのは 

 僕の一方的な押しつけだと思っていたんだよ。」

 

「圭吾は優しいから・・・」

 

圭吾は千織の言葉にかぶりを振った。

 

いや、バカで弱虫なだけだ。

 

「千織・・・。」

 

圭吾が名前を呼んだのは、これが初めてだった。

胸の奥が痛くなるように、ぎゅうっとなる。

 

「僕は君が好きだった。

 あれからもずっと好きなんだ。」

 

どうしても忘れられなかった・・・

 

 

アラブの砂漠の上に広がる空を見ながら、ずっと考えていた。

 

あの国の少し内地に入ったエリアでは、

普通の生活で男女が混じったりはしない。

奥さんや恋人のいない男は、何ヶ月も女性と話をしないこともある。

 

もちろん、出張して大都市に行ったり、

他の国に行けば、すぐにそんな事はなくなるが、

元の任地に帰れば、また男性中心の生活だ。

 

ほとんどの駐在員は夫婦ものだが、たまに僕のような単身者がいる。

最初は夫婦で来たものの、離婚して奥さんだけ帰ってしまったり、

独身のまま赴任してきて、10年も現地にいるうち、

現地の女性と結婚しないまま、暮らしている者もいる。

 

周囲に女性のいない暮らしが、

これほど殺伐とした物とは考えられなくて、

現地でも、上司が気を使ってくれて見合いまがいの事もした。


でも僕みたいな人間は、誰とでも友人にはなれるかもしれないが、

適当な女性と結婚する、などという

器用なことは到底できないのがわかった。


本当に望まない相手と便宜上結婚するくらいなら、

一人の方が断然いい。

 

 

「正直に言うと、女性を買ったこともある・・・」

 

誰が責めることなどできよう。

はるか彼方、水の代わりに石油が噴き出す砂漠の国。

圭吾のような、若くて独身の男性が持てる楽しみは限られているだろう。

 

「軽蔑する?」

 

こちらを向いた圭吾は、ちらっと千織の顔を見る。

千織は黙って首をふった。

これまで、知り合って5年以上経つのに、

お互いの心をさらけ出したことなどなかった。

二人は今、その罰を受けているのだ。

 

「君は今、誰か好きな人がいるの?」

 

あなた、と答えられたらどんなに良いだろう。

それでも昨日電話をくれたばかりの相手の名を告げれば、

嘘が混じる事になる。

 

だから、黙って首を振った。

 

「僕が一緒に来て、と言ったら・・・

 上の部屋まで来てくれる?」

 

圭吾はそっと千織の手を取った。

 

どうしたらいいのかしら・・

 

これでうまく行かなかったら、二人は今までそうっと大事に積み上げて来た、5年間をも失うことになる。

2度と圭吾に会えなくなるだろう。

 

それでも・・・。

 

友人としての二人は、どっちにしろ、今日でおしまいなのだ。

今、目の前にいる男に飛び込んでみるしかない。

 

わたしは圭吾が好きなのかどうか・・・。

 

千織はじっと自分を覗き込んでいる、

圭吾の丸みを帯びた瞳を見返して、小さくうなずいた。

 

 

 

 

 

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