04 星が出会う日 4

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ふたたび車に乗り込むと、あたりはどんどん暗くなり、

山の端にわずかに見えていた明るさも消え、

すっかり夜になっても、まだ車は止まらない。

 

「あの・・・どこへ行くの?」

 

時々、すれ違う対向車のライトが、

運転席の横顔を照らす。

 

「もうすぐだよ・・・」

 

言いながらもステアリングを握る手は休まない。


お腹がいっぱいになったのもあって、

百合はだんだんぼんやりしてきた。

 

 

 

「百合ちゃん、着いたよ。」


ジヌの声で、百合は自分がうとうとしていたのに気づいた。

窓の外は真っ暗で、木が沢山あること位しかわからない。

 

どこだろう?


百合がいぶかっていると、すぐ傍のドアが開いて、

ジヌの声がした。

 


「降りておいで・・・」

 

差し出してくれた手につかまって車を降り、

暗い外へと足を踏み出した。

 

うっそうとした並木道と小道の十字路で、

ただひとつ灯った街灯の脇に、車が停められている。


びっしりと頭上に枝を差し交わした、小道の先は真っ暗だ。

ざわざわと風の鳴る音も聞こえる。

 

「ジヌさん・・・」


「大丈夫。あっちに行くんじゃないから・・・」

 

ジヌの声は落ち着いていたが、

百合は暗さに、足がすくみがちになるのを、

ジヌに手を引かれながら、恐る恐る進む。


きゃあっ!


何かが二人の前を走り抜けた気がする。

振り向けば、小さな目が二つ、闇の中に光った。

 

「大丈夫だよ。何かの小動物だろう・・。

 はは、案外、恐がりだな。」

 

怯えて、ジヌに飛びついてしまった百合の肩を、

ジヌが何度か優しく叩いてくれた。


百合はほうっと息を吐くと、

しがみついていたジヌの腕からそろそろと体を離し、

また手をつなぎ直した。

 

暗い小道をやっと抜け、

丈高の真っ黒な木々が並ぶ場所を通り過ぎると、

不意にからりと視界が開けた。

 

 

そこは小さな森に囲まれた、広い草地だった。

端には、白く塗られたテーブルとベンチが4つばかり並んでいる。


夜露に濡れた草が、星明かりにちらちらと輝く。

 

 

「ここは?」

 

百合は、突然現れた空間に驚き、

ジヌの腕にすがったまま、尋ねた。

 

「ラグビーの練習場だよ。

 今は、もっと整った施設が国道の向こう側にできたけど、

 以前はよくここを使っていたんだ。」

 

向こうの、とジヌが暗い小道の先を指差す。

 

「道の先に合宿所があって、練習の後、

 ヘロヘロになるまで酔っぱらって外へ出ると、

 空から星が降るようだった。


 そのまま寝て、風邪を引いた奴もいたけどね。」

 

ジヌがかすかに微笑み、手を引いて、

真ん中のベンチへと百合を導いた。

 

ほら、見てごらん・・・・

 

青白く光る木のテーブルに手を置いて見上げると、満点の星。


森にへり取られた草地の上の空を、

確かに、天の川が細くうねるのが見えた。

 

「すごい!星がおっきい。」

 

だろ?

百合のお兄さんとは、何度も一緒に見た。

もっともここじゃなく、あの辺に寝っころがってだけど・・・。


ジヌは近くの草地を指差した。


寝転ぶと、驚いてバッタが何匹もぴょんぴょん逃げるんだ。

 

百合はジヌの言葉を聞きながらも、

きらめく星空から目を離せずにいた。


じっとじっとみつめていると、周りの木も、森も、

すぐ隣にいる筈のジヌさえ見えなくなって、

空に吸い込まれてしまいそうになる。

 

「ここなら、天の川を越えて、二つの星が出会うのも信じられる。」

 

あっちの明るい星と、その下のやや明るい星が・・・。


空を指して説明しかけたジヌは、

隣の百合がまばたきもせず、

ひたすら星空を見上げているのに気づいて、言葉をとめた。

 

ありがとう・・・

 

百合の声は震えていた。

 

「お兄ちゃんと見た天の川をわたしに見せてくれて。

 七夕の、お兄ちゃんの逝ってしまった日の・・・」


わたしの・・・誕生日に。

 

「百合・・・」


百合は、自分の体が柔らかく抱き取られるのを感じた。

 

涙を見せてしまったからだ。

また泣いたら、また、こんな風に抱きしめてくれるのかしら・・・

 

ジヌの匂い、ジヌの胸の広さ、

こんなに温かくて、強くて・・・懐かしくて

でももう決して触れることはないと思っていた。

 

「ずっと渡したかったものがあるんだ。」

 

顔を埋めていた胸から、直接ジヌの声が聞こえた。

 

「え?」


「さっきも渡そうと思っていたのに、渡せなかった。

 今、渡さないと、また渡せなくなりそうだ。」

 

ジヌは不承不承、と言う感じに、百合の体を半分離し、

百合の肩に左手をかけたまま、

右手で自分の胸ポケットを探ると、

小さな長方形の箱を取りだした。

 

これ・・・・。

 

てのひらに渡された箱には、まだほんのりジヌの温もりが残る。

だが、星明かりだけではよく見えない。

 

「開けてもいいですか?」

 

ジヌが黙ってうなずいた。


黒っぽい包みを開けると、ベルベットの箱があり、

中に、小さな瓶が収められていた。


取り出して、星空にかざすと、

表面に古風なカット細工があるガラスの内で、

とろりと液体が揺れる。


小さなレッテルが貼られていて、

黒地に白い百合が浮き、何か文字が書かれている


何度か星あかりにかざすようにして眺めたあと、

百合がだまって、ジヌの顔に視線を戻した。

 

「僕のいた会社の調香師に作ってもらったんだよ。」

 

「・・・・?」

 

「名人と呼ばれていて、ずいぶん年を取っていた。

『どんな香りでも創り出せる』と豪語するから、

『では、香水をひとつ作って欲しい』と頼んだんだ。


 僕がそんなことを言ったので、びっくりしていたよ。」

 

「どんな風に頼んだの?」

 

「僕の知っている女性のイメージを香りにして欲しい、と。


 その調香師に、すごく色々聞かれた。

 百合の外見とか、雰囲気とか、

 好きなものや、どんな風に笑うのか、とか、

 名前まで・・・もう、根掘り葉掘り。

 僕がうまく答えられないと、

『お前の恋人の香りを作るんだろう?』って怒られた。


 恋人かどうかわからない、と言うと、

『自信のない若造め!』と笑われた。」

 

ジヌの声は何げない調子だったが、

確かな熱が含まれていた。


百合はじっと手の中に香水瓶を包んだ。

まるで、何かを祈るみたいに。

 

「僕は百合に会いたかった。


 だけど、僕らはどんな約束もしなかったし、

 2年以上離れていて、

 百合が僕を忘れないでいてくれるかどうか、自信がなかった。


 帰国してすぐ、仕事を立ち上げようとしていた時、

 誰かが百合の話をしたんだ。

 お店を継いで、立派に女将をやっていて、

 見合いの話も幾つかあるようだと・・・。」

 

百合はゆっくりとジヌを見上げる。

 

「僕はすぐに確かめる勇気がなかった。それは認める。


 だから、七夕の日に、百合の家にあいつの焼香に行って、

 もし百合がそのままだったら、

 僕の気持ちをちゃんと伝えようと思った。」

 

百合の胸の中で、さっきから心臓が踊っている。


破裂しそうな音が、百合の肩を抱いているジヌにも

聞こえているに違いない。


息が苦しくなってきたが、何とか言葉を絞り出した。

 

「これは・・・」


「え?」


「これは何と書いてあるの?」


百合は、瓶のラベルをジヌに示した。


ああ・・・。


左腕に百合を閉じこめたまま、ジヌが右手の人差し指で、

ラベルの腹だけを撫でた。


「『L’ image du Lis』

 百合のイメージ、百合の面影と言う意味だ。

 その調香師がつけた。」

 

百合はじっと見ていたが、

やがて小さなガラスの栓を取り、

鼻を近づけて、そっと匂いを嗅いでみた。


やや甘い花の香り、他にも何か懐かしい香り・・・。


でも、香りを言葉で説明するのは難しい。

 

百合が何も言わないのを見て、ジヌが言葉を足した。

 

「『女性がつけて香るように作ってあるから、

 お前がつけてはいかん』と言われた。

 だから、僕が試したことはない・・・。」

 

百合が唇をきゅっと結び、

元通りに栓をして、箱に戻す。


手が震えて、こぼしてしまいそうだから。

ありがとう、の言葉がなぜか、すぐに言えない。

 

 

前を向いて、目の前に広がる暗い草地や、

奥の黒い森に目をやったが、

ジヌの視線を頬に痛いほど感じる。


じっと見つめられているのは、百合にもわかった。

肩に巻き付いているジヌの手が熱い。

 

「百合・・・」

 

ジヌの右手が百合の肩をつかんで、自分に向き直す。

百合の頭が一瞬、ぐらんと揺れた。

 

「昨日、百合に会ってわかった。

 僕には、どうしても百合しかダメだ。

 

 僕と一緒に来て欲しい・・・」

 

百合のまなざしは、夢見るようにジヌに向けられ、つぶやいた。


一緒に・・・どこへ?

 

「どこへでも、いつでも、いつまでも。」

 

百合は、ジヌを見上げた。

 

「百合と、僕とで・・・一緒に生きて行きたい」

 

ジヌがまっすぐに見つめている。

百合は胸が苦しくなって、言葉が出なくなった。

 

だって・・・


「・・だって、昨日、社長さんから、

 お嬢さまのお相手にって言われていた・・じゃない」

 

暗くても、ジヌが微笑んだのがわかった。

 

「あの場で断ったよ。はっきりと。

 それは聞いていなかったの?」


ええ・・・。

 

「何だ、中途半端な盗み聞きだな。」


そんな・・・盗み聞きなんて。


「ご挨拶に入ろうとする間合いを計っていたのに」


間合いね・・・。


「女将には必要なんだな」


「ええ。」


「じゃあ、経営は僕に見させてくれる?」

 

ジヌがいたずらそうに言ったので、

百合はちょっとにらんでやった。

 

「それは・・売り込みですか?」

 

ははは・・・それでもいいよ。

 

「何でもいい。百合が欲しい。

 離したくない。

 ずっと・・・一生」

 

ジヌは百合を両腕に包み直して、強く抱きしめた。

 

あ・・・。


あまりの強さに、百合は息が止まりそうになった。


「いやか?」

 

ジヌの目が強く見開かれて、額を百合の額にくっつけ、

じっと百合をにらんでいる。

 

「いやだなんて・・・そんな・・・」

 

百合はかぶりを振った。


だって、夢のようで、まだ信じられない。

毎年、七夕のお星さまに願いを掛けていたの。


また、あなたに会えますようにって。

去年も、おととしも・・・ずっと、願って・・。

 

 

百合の目から雫が落ちる前に、

ジヌの唇が百合の言葉をふさいだ。


そのまま二度と離れずに、何度もくちづける。


最初はかすかに涙の味がしたが、

今は甘くて、かぐわしくて、

いくら貪っても飽き足らない。


二人が離れていた時間が溶け合うように、

探り合い、求め合う。


やっと唇を離すと、百合の体が柔らかく崩れ、

それをジヌの胸がしっかり受け止めた。

 

見上げれば、さっきよりさらに星の数が増えたようだ。

東京の夜空でぼんやり見える星と、同じとは思えない。


三日月はとうに沈み、星たちの祭りとなった。

満天の星がさざめいて、恋人たちの再会を祝っている。


一つになった影はまだ動かない。

 

 

 

 

 

 

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